睦月 3

「……すみません。俺はあの日、多喜さんと寝ました。……でもそのことを後悔していません。ただ、やっぱりあの瞬間、多喜さんの心はあなたにあったし、……俺と寝たことは、多喜さんもあなたも傷つけることだった。……だから、謝ります。すみませんでした」
 一彰さんはじっと俺を見ていた。
 それから、俺の言葉を全て聞き終えると、ふっと笑った。
「別に、あんたに謝ってもらいたかったわけじゃないんだ。……でもさ、どうしても、やりきれない気持ちがあって。だって、こいつはずっと俺のもので、なのにいとも簡単に他の男に手ぇだされたから……だから、これは俺のワガママなんだけど。一発殴らせてくれない?」
 一彰さんの声は表情も怒っているというよりは、どちらかというと爽やかさを感じさせるものだった。
「ちょっ……一彰、」
 慌てて多喜さんが止めようとしたけれど、俺は一彰さんを見て頷いていた。
「分かりました……どうぞ」
「待て、久野!」
 多喜さんの焦った声が聞こえるのと同時に、左頬に衝撃を感じて俺はよろけて床に手をついた。
 痛みよりも頭に強い振動を感じたショックで、少しの間立ち上がることができなかった。
 たぶん、これは傍から見たら理不尽なのかもしれない。
 でも俺は、なんだかすべてを納得して受け入れていて……殴られた頬を手で押さえながら、一彰さんと、俺のそばに膝をつく多喜さんを見ていた。
 口の中が切れてじんわりと血の味がした。
 そしてひどく晴れ晴れした気分にもなっていた。

 多喜さんがタオルを水で濡らして俺の頬に押し当て、一彰さんを責め立てているのを聞きながら、俺はなんとなく顔が緩むのを抑えられなかった。
「なんで、笑ってるの」
 一彰さんは多喜さんの言葉を聞き流しながらダイニングテーブルの俺の向かいに座る。
「いや、なんか……面白くて。二人が」
「そう? ……あー、自己紹介もまだしてなかったね。悪い。俺、木場一彰。こいつとは大学の時に知り合ったんだ。当時の下宿先が近所で。今はニューヨークに住んでる」
「あ、俺は久野智晴です。多喜さんの部下で……営業部に配属されてからずっと多喜さんに面倒を見てもらっています」
「うん、しょっちゅう聞いてた。あんたのこと。すごく可愛い後輩なんだって……。な、智晴ってよんでもいい? ニックネームとかあるの?」
 俺を一発殴ったあとは、本当に一彰さんはまるでしこりを残さない態度でフレンドリーに俺に接した。
「特には……いいですよ、智晴で。俺は、一彰さんって呼んでも?」
「もちろん。呼び捨てでもいいよ」
「さすがにそれは……」
 口の中は切れていたけれど、一彰さんに勧められるままに俺はビールを口にし、一彰さんはさっさとビールを1缶開けるとワインの栓を抜いた。
「俺はこっちのほうがいいや。悪かったな、手加減したつもりだったんだけど。こいつのことは3発か4発は本気で殴ったんだけどな」
 ちらりと多喜さんを見て一彰さんは鼻を鳴らす。
「いや、もういいです。済んだことだし。……でも、なんで別れようって話になったんですか?」
 ずっと疑問に思っていたことを聞くと、一彰さんはワインを注いだグラスを手にしながら横目で多喜さんを見た。
「俺たち、ずっと遠距離でさ。遠距離って、お互い努力が大事だろ。リレーションシップ。なのにこいつはそれを怠った」
「……実は、一彰の誕生日を忘れていた。クリスマスもプレゼンントを送るのを忘れて……この1年は会いにも行かなかったんだ」
 多喜さんも一彰さんの隣に座り、ビールを傾けながら気まずそうにそう打ち明けた。
「……それは、ちょっと酷いですね」
「だろ? 忙しいのは解るよ。でも忙しさにかまけてパートナーとのコミュニケーションを疎かにするのは、それは違うだろ。離れて暮らしているんだし、よけい」
 歯切れの良い口調で一彰さんはそう言った。
「そうですね……」

Next