fortune kiss 1

「結婚する事になった」
 ランチの席での、突然の告白だった。
 パスタをフォークに巻き付けていた諒の手が止まる。
 爽やかな風の吹き抜けるオープンカフェで、諒は呆けたように目の前に座る男を見つめた。
「式は、早いけど再来月なんだ。それで……ドレスとタキシードを作ってもらいたいんだけど。パターンだけでなく、縫製まで」
 聖一郎は淡々と話しながらリゾットを掬い、口元に運ぶ。
 その間、一度も諒を見なかった。
 ごくり、と唾を飲み込む。
 上手く頭が回転しなかったが、それでも。
 自分が今言わなければいけない事は良く分かっていた。
 落ち着いて。落ち着いて。
 世間一般の受け答えをすればいいんだ。大丈夫。
 なにもおかしい事などない……
 背中を這い上がる嫌な感じの震えを無視して、諒は微笑んで見せた。
「そうか……。おめでそう、セイ。分かったよ、衣装はまかせて……」
 話しながら、じんわりと涙が浮かび上がってくるのは、どうしようも無かった。
 唯一、救われたのは、その間聖一郎がずっと目の前のランチを眺めていて、諒を見なかった事。もしかしたら、照れくさい話で顔を上げるのが恥ずかしかったのかもしれない。
 諒は真っ直ぐ前を向いて、瞳を大きく見開いた。
 風が、早く涙を乾かしてくれるように。

 こんな時、聖一郎と同じ職場だというのは不幸だという意外に無い。
 このまま、あと一分でも聖一郎と一緒に居る事が辛くて、諒は適当に理由をつけランチを取ったカフェの前で右と左に分かれた。
 本当はさっさとアトリエに戻り、山のように溜まった仕事をさっさと片付けなくてはいけなかったが、とてもそんな心境にはなれなかった。
 心臓が不規則な鼓動を繰り返し、冷たい汗が流れる。うまく呼吸が出来なくて頭がぼんやりした。
 胸の痛みは、ここ数年の間に慣れたもの。日々、供にあったもので、それは今更だったが、それでも今日は辛かった。
 何も考えないようにして、ひたすら通りを歩く。ジグザグに角を曲がっていると、方向感覚が薄れ、自分がどこに居るかも分からなくなっていく。ただ両足を交互に動かし、気を抜けば悲鳴を上げそうな心を誤魔化していた。
 どれくらい歩いただろうか。ふと視線を上げた先に、民家の軒先から延びている木蓮の可憐な姿が目に入った。その白い花弁に諒は親友の存在を一気に思い出した。
 木蓮の木の下、孤高のシルエット。あまりに美しい立ち姿に思わず諒が声をかけたのは、高校二年の春。
 それから松崎怜於人は諒の親友になり、現在に至る。
 レオトを思い出すのと同時に、諒の指は携帯電話のボタンを押していた。呼び出し音を聞きながら、レオトが仕事中である事に気づき、慌てて切ろうとした瞬間に電話がつながった。
「もしもし、諒?」
 電話機から流れるベルベッドのような優しい質感の声に、諒は一気に縋り付きたくなる。それでも、現実を思い出して必死にそんな自分を宥めた。
「あ……ごめん、仕事中だよね?」
 多忙を極めるレオトに仕事中電話をかけるという事は滅多にしない。というより、かけてもレオトは電話に出られない事が圧倒的に多かった。カリスマと呼ばれる美容師のレオトの背後には、数ヶ月前から予約を入れている客がいつも控えている。
「ちょっと休憩してたところだよ、どうしたの?」
 柔らかな声に諒は全てをぶちまけたくなる。それでも、冷静な口調で告げた。
「どうもしない、ごめんね。ちょっとかけてみただけ」
 出来るだけ明るい口調で言ったつもりだったが、勘の良すぎる親友には隠し事は出来なかった。レオトはしばらくの沈黙の後、変わらない調子で提案する。
「俺、今日は9時には店を出られる。諒は何時に仕事終わる? 夜、少し会おうよ」
 何も言わなくても、諒の送るSOSにレオトは敏感に感づいてくれる。
 諒は瞳を閉じると細く息を吐いた。木蓮の香りが鼻腔をくすぐる。レオトがすぐそばにいる様な錯覚を起こした。
 レオトは、諒を甘えさせてくれる。
 レオトの気持ちは知っている。都合よく利用しているのも分かっている。
 それでも、今の諒にはレオトしか頼れる相手がいなかった。

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