fortune kiss 6

 古いマンションの狭い急な階段を四階まで上る。東側の角が聖一郎と諒の部屋だった。扉が開け放たれ、柔らかい光が廊下にこぼれている。何をしているんだろうとドアの前に立つと、下駄箱の前に聖一郎が座り込んでいた。
「ただいま」
 さらさらの黒髪を見下ろし声をかけると、聖一郎が諒を見上げて笑顔になった。
「おかえり、遅かったな」
「うん……。セイ、何してるの? 玄関開けっ放しで」
 聖一郎の笑顔に、諒の胸は温かいもので包まれた。同じく自然に沸いた微笑みを浮かべて諒が問い掛けると、聖一郎は僅かに顔をしかめる。
「埃っぽいから、開けておいたんだ。靴をね、普段履かないものだけでもダンボールに詰めようと思って。時間がある時にちょっとずつでもしておかないと」
 聖一郎の返事に、先ほど温まった胸は急速に冷えていった。なんの事はない。結婚のために、この部屋を出ていく準備をしていた。それだけの事。
「そう……」
 冷たくなった心を押し隠しながら頷き、諒は自然と聖一郎に向かい合うように座り込んでいた。
  「手伝う、セイ」
「え? いいよ、これくらい。それより疲れてるだろ? 風呂、入っちゃえよ」
 諒はその言葉を無視して、下駄箱から箱を取り出して中身を確認した。
「大丈夫。ほら、セイ。この靴、もう何年も履いてない。どうするの?」
「それ諒のだろ?」
「セイのだよ。サイズ見て。これからも履くの?」
「あ、本当だ。じゃあ履く」
 下駄箱から、一つ一つ箱を取り出す。一緒に中身を確認しながら、ダンボールに詰めていく。聖一郎のかけらを、詰めていく。この部屋から送り出す。
 そんな作業をしながら、諒は必死で作り笑いを保ちつづけた。
「行かないで」
 こみ上げる言葉を飲み込んだ。
 言葉は重いタールのように、諒の中に沈んでいった。

 それから毎日、レオトはアトリエに迎えに来た。
「ほら、帰ろう」
 促され、慌ててやりかけの仕事を片付ける。まだ残っているスタッフに挨拶をしてアトリエを出た所で聖一郎とぶつかった。
「あっ、ごめん」
「諒。これから帰るのか?」
「うん」
 諒が帰るまでレオトはアトリエに居座って動かないため、残った仕事は家に持ち帰り仕上げていた。ただ、ドレスとタキシードのパターンだけは家で作業をするのが嫌で、アトリエに置きっ放しになっている。作業は遅々としてなかなか進まなかった。
 レオトが聖一郎に軽く会釈をして脇を通り過ぎる。レオトは諒達のブランドのメンバーのヘアメイクの面倒も見ていた。今をときめくカリスマ美容師が、話題のブランドのショップ店員のヘアメイクを担当する。諒とレオトが友人だった事がそもそもの発端だったが、美和の提案は聖一郎とレオトに受け入れられ、そのまま雑誌に紹介され、相乗効果で人気は益々高まっていた。
「レオトさん、いつも悪いね」
 聖一郎がレオトの後姿に声をかけると、少しだけ振り返り、レオトは営業スマイルを浮かべた。
「いいえ、こちらこそ諒を毎晩拉致して申し訳ありません」
 聖一郎はその言葉に僅かに首を振るとアトリエに入っていった。
 聖一郎とレオトは、ある意味ビジネスパートナーであるのに、いつもその間に冷え冷えとした空気を漂わせている。大人同士の礼儀正しさこそあるにせよ、一見してお互いにあまり好きではない相手なのだな、とすぐに分かる殺伐とした感じは消せなかった。
 ヘルメットを手に、レオトの後ろに跨りながら、諒はレオトの腰をつついた。
「レオトらしくない、本当に」
「くすぐったい、やめてよ」
 レオトは首をすくめ、ヘルメットを被るとエンジンをふかした。
「セイが嫌い? レオトはいつも、誰にでも感じいいのに」
 諒がエンジン音に負けないように声を大きくする。レオトが何かを言ったが、それはフルフェイスのヘルメットの向こうで埋もれてしまった。聞き返そうとしたが、バイクはすでに通りを走り出し、諒は振り落とされないようにレオトの肩をしっかりと掴んだ。

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