fortune kiss 10

 どれくらい眠ったのか。外が明るくなっていたのは覚えているから、多分数時間も寝ていない。
 目覚めるとレオトはいなくて、諒はソファの上で、タオルケットを纏い横になっていた。
 大雨の後の湿った生温い大気は、睡眠不足の気だるさを強く意識させた。諒は腫れぼったい瞼とぎしぎしときしむ関節の疲れきった体を、晴れた朝の日差しの下で思い知った。
 一晩中自分を抱きしめていてくれたのは、ずっと想い続けた人ではなく、親友。
 抱いてくれるように懇願した、浅はかな自分。レオトの事なんてこれっぽっちも考えていなかった。ただ、自分の中の苦しみをどうにかしたかった。
 レオトを傷つけている。もしかしたら、自分より、ずっとずっと傷ついている。
 諒の痛みを癒してくれるのはレオトだが、ではレオトは?
 誰か。
 レオトが信頼し、気を許す事の出来る誰かが、彼を癒すのだろうか。諒にしてくれたように。
 そう考えると正体の分からない炎が、じりじりと胸の奥を焼いた。

「諒、食事に行こう。昼、取ってないだろう?」
 聖一郎に声をかけられ、作業台から顔を上げ時計を見ると午後三時になるところだった。聖一郎と一緒にいるのは辛いが、それでもまだ誰かのものになっていない聖一郎をそばで感じていたくて、諒は頷いた。
「ちょっと歩いたところに、美味い蕎麦屋があるんだ。そこでいいか?」
 聖一郎の問いかけに頷く。専門学校を卒業してから、ずっと聖一郎と一緒にいた。きちんとした時間にとれない昼食も常に一緒だった。同じ職場で働く以上、それはこれからも変わらない。それでも目に見えない何かが変わっていく。
 公園のそばの雰囲気のある蕎麦屋で向かい合って座り、注文を待つまでの間、聖一郎は諒を見て目を細めた。
「やっぱり、負担だったか?」
「え?」
「諒に余計な仕事を任せてしまった。顔色が悪い。それに痩せたみたいだ」
 結婚式の衣装の事を言われているのだとすぐに気づいた。
「他のスタッフにも頼もう。無理させすぎてしまったな。ごめん」
「何言ってるの。あれは俺が作る。俺がやりかけの仕事を他人に任せるの、一番嫌いな事知ってるでしょ? 最後までやる。誰かに手を出されるのも嫌だ」
 強く言い切った諒の言葉に、聖一郎は少し逡巡した。やがて小さくため息をつき、了解のしるしに頷いた。
「分かった。だが、無理はするな」
 自分を気遣ってくれる聖一郎。それでも、聖一郎にとっての一番ではない。分かっていながら、受け入れる事が出来なくて、聖一郎の言動の一つ一つが諒の胸を焦がした。
 同時にレオトを思う。自分に振り向いてくれない存在に、思いを寄せているのはレオトも同じ。諒はレオトの気持ちを分かっているだけに、余計酷いことをしているし、レオトを苦しめている。
 優しさの影で、どれだけ苦しんでいるのだろう。決して諒には見せないようにして。
 どうして、自分はレオトが思ってくれるほど、思いやれないのだろう。
 美和と自分のギャップを感じた。
 聖一郎の愛情を一身に注がれている美和。美和は誰にでも底抜けに優しい。計算する前に手を差し伸べる美和。それに比べ、レオトに甘え、傷つけ、それを無視してさらに寄りかかろうとしている自分。
 こんな自分が聖一郎を想い、美和に嫉妬するは間違っている。
 ……このままでは、良くない。
 諒はため息と共に目を瞑った。

 レオトの店が閉店する時間まで待って、携帯に電話をかけた。数回のコールの後、聞きなれた肌触りのいい声が応答する。
「諒? どうしたの?」
 罪悪感を感じつつも、諒は鋏を握りながら何気ない風に告げた。
「お疲れ様……。今日は、店のスタッフと食事をするんだ。だから、迎えに来なくて大丈夫だよ」
「そうか、分かった。じゃあ、また明日ね。お疲れ様」
 明るくレオトが返事をし、電話を切った。
 嘘をついてしまった。でも、これでいいのだ。
 聖一郎が結婚しても、大丈夫。自分はレオトに頼らなくても大丈夫だというところを見せなくてはならない。
 これ以上、レオトに頼り、甘え、苦しませてはいけない。
 携帯を鞄に放り込み、諒はウェディングドレスを作る作業を再開した。
 結婚式が迫っていた。
 そんな風に毎日が過ぎていった。諒はなんらかの、もっともらしい理由をつけレオトをアトリエに来させないようにした。どんなに強く決心しても、レオトの顔を見たら甘えてしまう事が分かっていたから。
 それに比例するように、ドレス作りに熱中し、夜も寝ないで数作業を続けた。いや、眠れなかったからドレス作りに精を出したと言って良い。自宅に帰り、ベッドに横になっても眠りななかなか訪れず、ようやく眠れたと思うと悪夢に飛び起きた。仕方なく、夜中にそっと自宅を抜け出しアトリエでドレスを作った。
 聖一郎は知らない。
 心配をかけないように、夜明け前には一旦自宅に戻っていたから。
 ドレスを作りながら、悪い事を考えた。
 駅の階段から足を滑らせる美和。
 暴漢に襲われる美和。
 誰かに毒を盛られる美和……。
 ある訳が無い。彼女は誰にでも優しく、公平で、穏やかで。彼女を好きにならない人などいない。……諒すら、美和の事は好きなのに。
 仮縫いをしながら諒は不規則な呼吸を続けていた。胸が苦しいのは毎日。それは、精神的なものからくる苦しさか、本当に体が苦しいのか、それすら分からない。
 仮縫いをして、美和に着せて見る。
 驚くほどぴったりと合うそれは、諒の腕の良さの証明。
 それが苦しかった。どうせなら、世界一下手糞な仕立て屋なら良かった。何度も何度も失敗して、とても着る事が出来ないようなものが仕上がって。結局式があげられない……。
 そこまで考え、自嘲的な笑みが漏れる。
 三文芝居のような妄想だった。
 馬鹿な自分。
 情け無い自分。
 消し去りたい。世の中から、抹殺したい。
 作りかけのドレスを握り締め、体を振るわせた。

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