fortune kiss 11

 その日も、レオトには「聖一郎と食事をしてから帰るから、迎えはいらない」と電話で告げた。毎日レオトの訪問を遠まわしに拒絶する諒に、レオトは何も言わず、ただ変わらない明るい声で「分かったよ、楽しんで」と返事をした。
 今夜、聖一郎は出張で東京にはいない。重ね続ける嘘に鉛の塊が諒の中に沈みこむ。それを振り払うかのようにミシンの前に座り、作業を行った。
 深夜にアトリエで鳴り響いた電話の音で、作業に熱中していた諒は我に返った。
「諒ちゃん? 俺、潤一郎。今、兄貴の部屋からなんだけど、パスポートってどこにあるか分かる?」
 電話の主は聖一郎の弟で、ブランドの専属モデルである潤一郎からだった。
「パスポートなら、ベッドサイドの引き出しの中だよ、きっと」
「ちょっと待って、……あ、本当だ。ありがとう、助かった~。神戸から電話がかかってきてさ、忘れたから持って来いっていうの。本当に人使い荒いよ、兄貴」
 潤一郎の愚痴に笑い声で返しながら、昼間潤一郎から来たメールを思い出した。先日届いた、来シーズン用のシャツの布の素材が思いのほか悪く、新しいものを至急用意しなければならなった。そこへ以前から親交のあったイタリアの卸業者が、聖一郎に実際に来て選べと呼び寄せたのだ。二日前から神戸で行われるイベントの為に出張している聖一郎は、東京には戻らず、そのまま関空から直接イタリアへ飛ぶ事になっていた。パスポートを忘れるなんて、よほど慌てて出て行ったのだろう。
「あ、滞在が2.3日伸びるかもって、言ってた。諒ちゃんに伝言」
「分かった、ありがとう」
「まだアトリエにいるって事は、例の、結婚式の衣装でしょ? 諒ちゃんも良く引き受けたよね、ただでさえ忙しいのにさ」
「まぁ……一生に、一度の事だからね」
「でもさぁ、俺、意外だったんだ。兄貴の結婚」
「え?」
「兄貴と諒ちゃんって、なんかもう、それで完成した一つの形みたいに思えたからさ。兄貴は一生独身で、諒ちゃんと同居している気がしてた」
 潤一郎の思わぬセリフに、諒の鼓動は早まった。
「兄貴が諒ちゃん以外の人と暮らすのって、なんかピンと来なかったんだよね。まぁ、美和さん見たら納得したけど。兄貴にはもったいないくらい出来た人だよね」
「……お似合いだよ」
 話をしながら、電話で良かったと思った。きっと、今酷く歪んだ顔をしている筈の自分。他人には絶対に見られたくない。
「あ、じゃあ俺、明日の朝一番の飛行機で神戸に行くから、今日は此処に泊まるね。諒ちゃん、帰ってきてびっくりしないでね」
「大丈夫だよ、おやすみ」
 電話を切り、片手で顔を覆った。
 整わない呼吸。胸が苦しい。
 痛い、痛い。
 どうして、聖一郎なんて好きになったのだろう。
 ミシンの前に置かれたふんわりとした白い布の塊が妙に眩しかった。
 白々しいくらいに。
 どうして……どうして。
 俺は、どうしたい?
 よろよろと椅子に座り、ミシンをスタートさせる。規則的な機械音、勝手に滑る肌触りのいい布。諒が作業をすればするほど、ドレスは出来上がっていき、聖一郎が完全に美和のものになる日が近づいてくる。なのに、何をしているんだろう。
 カタカタカタカタ、と布と布をくっつけるミシン。くっついた布と布。それを誰かに着せて。
 怨念が篭った服なら、来た人は不幸になるだろうか、このドレスはどうだろう。
 ミシンの前で茫然とそんな事を考え、手だけは機械的に慣れた作業を続けていた。
 どれくらいの時間がたったのだろう。
「諒」
 声をかけられた気がして、ミシンを止めてゆっくり振り向くと、レオトが立っていた。レオトの輪郭がぼんやりと霞んで見える。
 何故、レオトがいるのだろう。今夜は来ないはずなのに……とうとう、幻覚が見えるようになったのか。
 霞んだままのレオトは、悲しげに諒を見ていたが、やがて近寄るとそっと肩に手をかけ、静かに問いかけた。
「何してるの? そんな真っ青な顔をして」
 真っ青?
 言われて、自分の頬に手をやった。青い色をしているのか?
「美和さんに偶然会って、聖一郎さんが神戸に出張していると聞いた……。どうして、嘘をついた? そんなに俺に会いたくなかった?」
 ……違う。
 本当は会いたかった。会って、抱きしめて欲しかった。
 でも、レオトに会ったら、甘えてしまうから。強く保ってきた自分自身があっさりと崩れてしまうから。自分の弱いところは見たくないから。一番深いところに隠しておきたいから。……レオトを傷つけてしまうから。
「こんな酷い顔をして、もう止めろよ。そこまでして作らなくちゃいけないの? 俺はもうそんな諒を見たくない」
「……俺だって、嫌だ」
 ぽつりと呟いた。
「じゃあ、止めよう。この続きは誰かに任せよう。諒がやる事はない」
「……なんで」
 呟きは、無意識にこぼれた。勝手に漏れる、溢れた痛みの破片。
「なんで、レオトがそんな事を言うんだよ? 俺はこれを作らなくちゃならない……セイの頼みだから。俺以外の誰にも作れない」
 諒はレオトに背中を向け、再びミシンを動かし始めた。針が細かく振動し、純白の布が滑っていく。
「諒、自分がどれだけ酷い状態か分かってる? ミシンを止めて、もうやめるんだ。本当は作りたくないくせに、そんな状態でいいものが作れる筈がないだろう?」
「……放っておいてくれ……」
「諒は意地を張って無理をしてばかりだ。見ているこっちがもどかしくてどうにかなりだよ。そんなにボロボロになるなら、苦しむのなら、何故自分の気持ちを言わないんだ。欲しいものはちゃんと『欲しい』って言わないと、手に入らないよ?」
「うるさい……」
 レオトが諒の肩を強く掴んだ。切羽詰った声で、訴えかけるように吐き出す。
「もう……言っちゃえよ! 聖一郎さんに言うんだ」
「……うるさいっ!!」
 レオトの手を払いのけた瞬間、危ういバランスを保ちつづけていた何かが大きく傾いたのが分かった。

NEXT

fortune kiss 11」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: fortune kiss 10 | fresh orange

ただいまコメントは受け付けていません。