fortune kiss 12

 同時に布を抑えていた手に力が入り、布が僅かに右に曲がった。止める間もなくミシンは曲がった方向のまま布を送りつづけ、針は縫いしろではない部分を突き刺していく。
「あっ……!!」
 慌ててミシンを止めたが遅かった。とっさに布をひっぱてしまったため、曲がった縫いあとから醜く捩れて布が続いているのを目にし、猛烈な怒りとも悔しさともつかない感情がこみ上げてきた。
 気が付くと、作業台を両手でたたき付け、立ち上がっていた。
「うるさい、うるさいっ! レオトには何も分からない、横からちょっかい出さないでくれよ、これは俺の問題なんだ! 言われなくても分かってる! これは俺の仕事じゃない。本当は作りたくなんかない! どうして、どうして俺が……っ!」
 大声を上げながら、それを止める事が出来なかった。勝手にくちびるが動き、口汚い言葉を吐き続ける。
「……っ、こんなものっ!」
 叫びながら、さっきまで縫っていた白い布をミシンの下から引きずり出した。
「こんなもの、こんなものっ!!」
 怒鳴りながら、諒の手は糸で縫い合わせたばかりの部分を引き裂いた。
 びりびりと軋んだ音を立てて細い糸が引き千切れ、そこから布が破れる。
 引き裂きながら、今まで耐えていた涙が一気に溢れ、ぼろぼろと瞳からこぼれ落ちた。流れる涙をそのままに、諒はたっぷりとした布を引き裂いた。激情に流され理性はいとも簡単に吹き飛び、ただ、感情のままに両手は繊維を裂き続けた。
 あれだけ時間をかけ、丁寧に丁寧に縫い合わせた二枚の布は、諒の満身の力であっさりと離されていく。
 布のあげる悲鳴のような音を聞きながら、諒は布を破り続けた。
 この音は、何の音?
 結婚式の衣装が切れる音。
 でも、将来を誓った二人は、諒の手で引き裂けない。引き裂けるのは、白い布だけ。
 右の手に諒の未来、左の手に聖一郎。
 右の手に、諒の気持ち、左手に未来。
 離れ離れになる。
 どこまでも、どこまでも、この手で引き裂く。
 なくなってしまえばいい。
 何もかも。
 消してしまえ。
 ほつれていく布を、更に強引に引き裂いた。布の切れる音を聞き続けた。破いても、破いても、まだ次があった。
 諒は、羽根のように細かくなった白い布のはぎれの中で、それを破り続けた。
 手に持った布が無くなったところで、張り詰めていた糸が切れたかのように、床にぺたんと座り込んだ。
 白いはぎれが舞っている中で、ぜぇぜぇと息を粗くし、パールホワイトのふわふわしたかけらの中にみすぼらしく座り込んでいる自分に気づくと、熱い塊が喉の奥からせり上がってきた。羽毛のようなそれを握り締めて、耐えきれずにこみ上げる嗚咽に背中を丸めた。
「……っく」
 涙はとめどなく流れ続けた。背中を振るわせる諒の傍に、レオトはそっとしゃがみこんだ。
「我慢しなくていいから……。いっぱい泣くんだよ。そうすれば、苦しいのが涙になって流れていって、楽になるから。……もう、泣いていいから」
 レオトが穏やかに告げて諒の髪を撫でた。諒の体を抱きしめ、軽く揺さぶる。
「もっと早く泣かせてあげられなくてごめんね……」
 呟くレオトの声が低く掠れている事に気づき、諒は更に切なさが増した。
 止まらない嗚咽も、涙も。全部レオトの胸に吸い込まれた。
 レオトに抱きしめられながら、諒は声を上げて泣き続けた。

 目覚めたのは丁度夜明けが始まった時間で、重い瞼を開くと視界一杯に金色の空が入ってきた。
 号泣したあとの頭はぼんやりして、どうやって自分がベッドに入ったのか思い出す事ができなかった。それでも、横になった自分の髪を誰かが撫でていてくれたことはおぼろげに覚えているので、レオトが寝付くまでそばにいてくれたのだろうと推測した。それから帰ったという事は……レオトは眠る事が出来たのだろうか。
 色合いをゆっくりと変えていく空を眺めていると、次第に昨夜の記憶が蘇ってくる。
 散々泣いたあと、脱力したように座り込んでいた諒をレオトが連れて帰ってくれたのだ。あれだけ荒れ狂っていた胸の内は、その片鱗も残さず落ち着いており、清々しさすら感じられるようになっていた。
 レオトの言うように、心の中の澱は涙になって流れていったのだろうか。
 レオトが抱きしめていてくれた事で、完全に心を手放して泣けたような気がする。腫れた瞼は重かったが、胸の内は軽くなっていた。
 起き上がり、レオトが撫でていてくれたであろう自分の髪に触れ、ため息を漏らした。レオトの前で、自分はまるで子供のようだ。迷惑ばかりかけ、面倒を見てもらい。
 それから、ふと気づいて、諒は唇を指先でなぞった。
 昨日は、レオトにキスをしてもらっていない。
 聖一郎の結婚が決まってから、レオトと一緒にいた時には必ず行われていた儀式。レオトの施す幸せになれるおまじない。
 それが一回欠けた事を口惜しく、残念に思っている自分に気づき、諒は頭を振った。
 ……今更、何を。
 ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜ、シャワーを浴びるために立ち上がる。昨夜自分がめちゃくちゃにしたアトリエの掃除をしなくてはならない。誰かが来る前に、アトリエに向かわなくてはならなかった。

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