みつめる愛で 4

 木曜日の四限がゼミだった。
 初回の授業。指定された教科書を学内にある書店で購入し、教室に向かう。
 四号館の四ニニ教室。
 ゼミ用の、狭い部屋だった。
 ドアを開けると、中にいた数人がこちらを振り向く。
 自然と彼らに向かって笑顔を作りながら、さっと観察した。
 このふざけた大学の中でも、比較的真面目な人物達だった。一,ニ年の頃、異常に出席する学生のいない授業で毎週顔をあわせていたからだ。
 話をしたことは無いが、お互いに顔は知っていた。
「よろしく」
 挨拶をして近くの椅子に掛けると、大人びた感じの女性がにこやかに話しかけてきた。
「冴島くんだよね……去年、国際証券論の授業で一緒だった。私、十島。よろしくね」
「あぁ、いつも、一番前の席に座ってたよね。こちらこそ、よろしく」
 そんな風に自己紹介をしながら会話が弾む。ばらばらに座っていた数人が一箇所にまとまり、輪になった。
 その時、ガチャリ、と音がしてドアが開いた。
 反射的にドアの方を振り向くと、皆の視線が自然と集中する中、桐生が立っていた。
 その姿を見た瞬間、心が躍った。ついに正々堂々と話が出来るチャンスが来たのだ。
 この時の俺には、不可解な視線を投げかけてくる桐生に対する不信感や嫌悪感は一切無く、喜び勇んで声を掛けた。
「君、桐生だよね。俺、冴島千歳。よろしく」
 狭い室内に自分の声が響く。
 俺と、彼が始めて視線以外で交わりあう瞬間。
 この時を待ち望んでいた。
 俺に、彼に。その時、同じ教室にいる人間の意識が集中する。
 俺を見ていた彼の目が、ふい、とそらされた。
 あまりに、そっけなかった。
 あれ? と思うのとかぶせる様に、彼が低い声で言う。
「よろしく」
 そして、一人だけ、離れた窓際の席に腰を下ろした。
 取り残された俺は、一瞬ぽかんと彼を見送る。
 のれんに腕押し、という諺の意味合いを身にしみて理解した。
 あっけなくかわされた驚きは、相手にされなかった、という痛みと怒りになって俺を襲った。
 無言で睨みつけ、しかし次の瞬間には「仕方ないな」という寛大な表情を浮かべ、先ほど仲良くなった人物達を振り返った。
 彼らも「何、あれ?」というような表情で俺と彼を見比べている。
 そんな彼らの顔にホッとしながら、砂を噛む様な苦々しさを味わっていた。
 どうして。
 彼と、話をしたかった。
 彼の取ったポートレートの事を聞きたかった。
 きっと、親しくなれると思い込んでいた。
 あの視線は、彼も俺に興味があるのだと信じていたのだ。
 ……楽しみにしていたのに。
 やっぱり、俺が嫌いなのだろうか。
 嫌いだからこそ、見ていたのだろうか。
 そんな事、認めたくない。俺は何もしていないのだ。嫌われる理由なんて無い。
 それでも、どうしようもない苦いものがこみ上げてくる。
 それを必死に飲み込み、背中で桐生の存在を感じながら、他の学生達と言葉を交わした。
 時間を少し回って教室に入ってきた教授は、俺達を見回してにこりと微笑んだ。
 グレーのスーツの少しくたびれているところが、かえって彼を研究者として魅力的に見せている。
 教授のすすめで、端から一人ずつ自己紹介をする事になった。
 自然と、窓際に一人離れて座る桐生に視線がいく。
 彼は自分が注目されていることに気づき、がたりと音を立てて立ち上がった。
 こうして、近くで彼を見るのは初めてだった。
 上背があり、がっしりした体つきをしている。顔立ちも精悍で、友人達とふざけている時に見せる無邪気さや、子供ぽっさが今は全く感じられない。
 きつく口元を結んでいる分、「怖そう」というイメージすらもってしまう。
「桐生透哉です。よろしくお願いします」
 低い声でぼそりとそうつぶやくと、すっと腰をおろした。
 あまりにあっさりしすぎている挨拶に、皆が戸惑ったように顔を見合わせる。
 彼が中庭でふざけている時のような表情を見せない。
 それは、俺がいるせいのような気がした。
 隣の奴に肩をつつかれ、ふと我に返る。自分の番が来たことに気づき、慌てて立ち上がった。
 何となく教授を見ると、椅子にゆったりと腰掛けながら、微笑み頷きかけてくれる。
 その笑顔に力づけられて、俺はいつも、こういう場面でするように話し出した。
「冴島千歳です。初めましての人がたくさんいますが、よろしくお願いします。僕は、このゼミに入りたくてここを受験しました。ようやく夢が叶って嬉しいのと、これからがんばるぞ、という気持ちでいます。これから二年間、よろしくお願いします」
 笑顔を浮かべながら話しつつ、いい子ぶりすぎかな、とも思う。
 話しながら、これから仲間になる人物達を見回すと、彼が冷めた目で俺を見ていた。
 近くで見るからか、見られるからか。いつも俺を見ている視線とは、全く違う。
 なんだ、つまんない奴。
 そんな視線。
 彼の視線とぶつかったとたん、背中の温度が急にさがった気がした。
 皆の拍手を受け、椅子に座りながら、最悪のスタートになってしまった事にショックを受けていた。

NEXT

みつめる愛で 4」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: みつめる愛で 3 | fresh orange

ただいまコメントは受け付けていません。