アンバー 4

 照明担当になった一年生を演劇部の倉庫に連れて行き、機材の扱いを教えながら氷河はひどく憂鬱になっていた。
 演劇部に入部してくるくらいだから、ほぼ全員が役者を希望している。しかし、その全員が正式な公演で舞台を踏めるほど、甘くは無いのだ。従って、様々な理由で役者になれなかった部員がスタッフの仕事を行うようになる。
 もともとスタッフがやりたくて入部した氷河だったので、自分が一年生の時、照明を担当しようと決めた後は必死でそれについて勉強したし、先輩の言葉は一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。
 とにかく、早く一人前になりたかった。
 しかし、そんな氷河はとても珍しかったらしい。
 そういえば、当時、直でついて教えてもらっていた先輩にも言われた。
「今年はラッキーだな、こんなにスタッフの仕事に熱心な一年生が入ってきて」
 その時は持ち上げてくれているのだと思ったが、どうやらそうでもなかったらしい。
 氷河の下につく事になった一年生は二人いるのだが、二人ともが退屈そうにに氷河の説明を聞き流していた。
 やる気あるのか?!
 灯体を持ち上げ、名称や扱い方法を教えたが、二人は絶えずよそみをしたり、あくびをしたりで氷河は苛々を抑えるのに必死だった。
 もともと氷河はお気楽な性質で、鈍いというのかもしれないが、腹を立てることはあまり無い。苛々を抑える、という事自体が氷河の人生に縁遠い項目だった。
「これがDF、で、こっちがパーライト。見た目が全然違うから、パッと見で分かるよな?」
 出来るだけ優しい口調で話している最中、一人のポケットで携帯電話が鳴った。
 信じられない、と氷河が目を見開いている脇で、彼は電話をとり、そのまま話し始めた。もう一人いる一年生もそんな彼に注意するわけでもなく、窓の外を眺めている。
 はらわたが煮えくり返りそうなのを死にそうな思いで押さえ込み、ひたすら彼の電話が終わるのを待った。
 当たり前の常識ですら教えてやらないといけないのか?! 俺はこいつらの親じゃないっつーの!!
 心の中で叫びながら、ようやく電話を切った彼に、氷河は引きつった笑みを向けた。
「あのな、部活中は携帯切っとけ。持ち歩くな」
 しかし、そんな氷河に彼は不可解そうな、「はぁ?」というような視線を向けた。
「あー、なんでですか?」
「…………人に、物を教わる態度として、間違っていると思わないのか?」
「あー、でも俺、役者志望なんでー、照明は今回限りのつもりっつーか」
 あまりにふざけたセリフだった。
 氷河の頭のなかで「プチン」という音が聞こえたような気がした。
 滅多に切れない堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけんなっ!貴様みてぇな奴、役者なんて一生出来ねぇよ!!」
 普段は穏やかな氷河がいきなり怒鳴りつけたことに仰天したのか、二人は体を硬直させて呆然と氷河を見つめた。
「お前らにはもう何も教えんっ!!今すぐここから出て行けーーーっ!!」

 一年生を倉庫から追い出し、氷河は力なくその場に座り込んだ。
 あんな奴らと、次の公演を一緒にやるのか?
 あいつら、クビにしてくれないか?
 情けなくて涙がでそうだった。氷河は氷河なりに照明の仕事を愛し、心血を注いで取り組んでいる。それを土足で踏みにじられた思いだった。
 立てた膝の間に顔を埋め、このまま灯体と一緒に倉庫に閉じこもっていたい、と暗い気分になった。そうしながら、怒りにかられ下級生を怒鳴った自分にも罪悪感を感じていた。
 いくらあいつらが馬鹿だからといって、先輩がとるべき態度として、間違っていたのではないか。
 実際、間違ったことはしていないはずだったが、それでも「他人を怒鳴った」という事実が氷河の心を苛んでいた。
 どれくらいそうしていただろう。
 いつのまにか誰かが倉庫に入ってきたらしく、靴音が近づいてくる。
「氷河さん」
 呼びかけられて顔を上げると、ヒカリがこちらをのぞきこんでいた。
 その美貌に思わず息を呑み、僅かに後ずさる。あんまり綺麗な顔が近くにあると退いてしまうのだ。
「あ、あぁ、ヒカリちゃん」
 どきどきを隠しながらなんとか返事をすると、ヒカリは心配そうな顔をして、こともあろうか氷河の隣に座った。
 ただでさえ美形に弱い上に、氷河はあまり女の子に免疫が無い。こんな、肩と肩が触れそうな距離に女の子が、それもとてつもない美女がいるという事で、心臓が壊れそうになった。
「稽古終わりましたよ、帰りましょう。……大丈夫ですか? あの子たち、また暴言吐いたんじゃありませんか?」
「え、……うん」
 壊れそうだった心臓は、ヒカリの言葉により先ほどの出来事を思い出し、なんとか普通に戻ってくれた。再び氷河の気持ちは重く沈む。
「気にしないほうがいいですよ。みんな、手をやいてるんですから……」
「そうなんだけどね。……気が重いよ、あんないい加減なやつらと一緒に公演打つなんて」
 二人きりというせいか、先ほどの怒りを聞いて欲しかったのか。
 普段は愚痴をこぼさない氷河だったが、どこか姉御肌のヒカリに思いを吐露していた。
「氷河さんの苦労はわかりますよ。私だって、あんな人達と公演打つの嫌ですもん。彼ら、サボリがちじゃないですか。……いっそ、やめちゃえばいいんですよね」
 それは結構爆弾発言で聞く人が聞いたら怒られるのかも知れなかったが、同じ心情の氷河は深く頷いた。
「全くだよ」
 そうして二人は肩をならべ、埃くさい倉庫で心のままに怒りをぶちまけあったのだった。

 倉庫を出ると、表はすでにシンとしていた。
 今何時だろう、とあたりを見回すとヒカリが肩をすくめる。
「たぶん、十時過ぎてると思います」
 それを聞いて氷河は慌てた。部活は八時には終わる。
 その後氷河を探しにヒカリが倉庫まで来てくれたのだとすると、疲れている中をニ時間も愚痴につき合わせてしまったわけだ。
「嘘、ごめんね、なんか下らない話を長々と」
 恐縮してヒカリに頭を下げると、ヒカリは「いいですよ」と笑って答えた。
「私も、愚痴りたかったんです。誰かに。だから、氷河さんがいてくれて良かったです。氷河さんって、すごく話しやすいし。こちらこそ遅くまですみません」
 氷河は、ヒカリのその思いやりに満ちた言葉と笑顔にいたく感動した。
 なんていい子なんだ!
「そういえば、なんて倉庫に来たの?」
 ふと、当然の疑問が生じたのでそれを口に出すと、ヒカリは「あぁ!」と手を打った。
「大変なんです、もう台本が完成したんですよ! それで、早く知らせようと思って…」
「えぇっ、本当?! すげぇ、だって本番までまだ大分あるのに……快挙だ……」
 ヒカリの言葉に氷河はいたく感激した。感動のあまり涙がにじみそうになる。
 すると隣でヒカリが吹き出した。
「冗談ですよー。やだな、氷河さんってば……そんないきなり完成するはずないじゃないですか。本当はね、氷河さんが前聞きたいって言ってたCDもってきたんですよ。だから、それを渡そうと思って」
「え? ……そうか……ますますごめんね」
 あっさり騙された氷河は頭を掻きながら情けない顔になって謝ると、ヒカリは氷河の背中を軽く叩き笑顔で言った。
「いいんですってば。さぁ、帰りましょう!」
 ヒカリの触れた背中が熱く、氷河はうっとりしてヒカリの後姿を見送った。

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