アンバー 11

 その日、部活の帰り道。
 同じ駅を使っている氷河とヒカリは一緒に電車に乗った。家が近所といえど、一緒に帰れる事はめずらしい。スタッフの氷河は仕事をたくさん抱えていたし、役者であるヒカリは稽古の後も演出の尾上と話しをしていたりして部室を出る時間はいつもばらばらだった。
 登校は桜木と一緒で、下校はヒカリと一緒。
 江沢に指摘された通り、美男美女に弱い氷河はそれだけでかなり幸せな気持ちになっていた。
 空いた車内の席に並んで座りながら稽古の話をしていたが、会話が途切れた時にふとヒカリが曇った表情になった。おそらく無意識にだろうが、腕時計をちらりと見てため息をつく。
「……どうしたの?」
 といかけると、ヒカリは長い髪をかきあげて憂鬱そうに電車の吊り広告を見上げた。
「……帰りたくないんです」
 ……え?
 え、え、えええぇぇーーーー???!!!
 いくら、ヒカリを諦めたとはいえ、氷河とて健全な成年男子。その言葉を深読みして言葉を失うのは当然のリアクションだろう。まさかそんな訳は無いと思いながらも、「俺、今誘われたのか?!」と、心臓は勝手に動きを早める。
 口を半分開き、瞬きも忘れたかのようにヒカリを見つめる氷河に気づき、初めてヒカリは自分がとんでもない失言をした事に気づいた。
「あ、そうじゃなくて……氷河さん、あの、今のは言葉のアヤです」
 冷静に訂正され、氷河もハッと我に返る。
 とたんに顔に血が集まってくるのが分かった。
 ……恥ずかしい……
 慌てて顔を逸らし、ははは、と笑ってみせると、自分でも白々しいほどの笑い声が車内に響いた。
 ……だから、俺は役者じゃねえんだよ……誤魔化して笑うって難しい……
「私……ストーカーされてるみたいなんです」
 大根役者のような自分の笑い声にうんざりしていた氷河だったが、次にヒカリが漏らした言葉で、その笑いもぴたりと収まってしまった。

 一人暮らしを始めてまもなく。
 携帯電話にひんぱんに非通知で電話がかかってくるようになったという。
 ヒカリ自身、多忙なので電話に出られない事が多いのだが、それでも日に数十件の不在着信が残るとかなり気味が悪い。非通知の電話は取らないようにしていたのだが、あまりにしつこいので一度電話に出てみた。すると、相手は無言で、ときおり密かな息遣いがするのだという。
 あまりに気持ち悪くて携帯の番号を変えたが、今度はアパートの電話にかかってくるというのだ。留守番電話はつけていないのだが、決まって一人で家にいる時に限って電話がなるのだという。こちらはナンバーディスプレイにはなっていないので鳴った電話には全て出るようにしているのだが、やはり全て無言電話なのだ。おかげで電話線は抜きっぱなしにしている状態で、電話として本来はやすべき役割を全く使えていない。
 更に、最近では後を付けられているような気もするというのだ。
「いつから?」
 ハードな内容に驚愕した氷河が尋ねると、ヒカリは眉を寄せる。
「一人暮らしして、わりとすぐに……もう、二ヶ月くらい」
「警察には相談したの?」
 そう聞くと、ヒカリは首を左右に振った。長い髪が肩から流れる。
「いいえ……まだ、たいした事にはなっていないから……電話も誰が掛けてきているか分からないし、なにより、私の思い過ごしだったら恥ずかしいし。まぁ、思い過ごしに越した事は無いんですけど。それに、こんな事……人には話せなくて……氷河さん、誰にも言わないで下さいね、お願いします」
 氷河ならとりあえず友人に相談するのだが、誰にも言えないというのは、きっと女性にしか分からない心理なのだろう。それに、ヒカリが自分だけに打ち明けてくれたという事実が嬉しかった氷河は黙って頷く。そして腕を組んでヒカリを見つめた。
 確かに、これくらいの美女ならストーカーの一人や二人いてもおかしくないかもしれない……
 いやいや、そうじゃなくて。
「とりあえず、今日は俺が送るよ。……いや、部活の後は一緒に帰ろう。せっかく近所に住んでるんだから」
 氷河がそう申し出ると、ヒカリは申し訳なさそうに氷河を見て頷いた。
 ヒカリは大切な後輩である上、女優でもある。
 何かあっては一大事だ。
 これは、先輩でもあり、同じ劇団員(たとえ大学の部活とはいえ)である自分に課せられた使命なのだと思うと、妙に張り切ってしまう氷河だった。
 

 氷河が顔をあわせるたびに嫌味な口調でせっついたからか、今回の進藤の台本の進みは早かった。七月の公演まであと一ヶ月。いつもなら半分も完成していればいいほうなのだが、今回は最後の盛り上がりの所まで出来上がっている。あと少しで完成という事が分かり、心底ホッとした。
 新しく完成した分をコピーし、皆に配りながら進藤は得意げに椅子にふんぞり返った。
「ホッとしましたよ。この分なら、来週には最後までもらえそうですね」
 進藤の隣に座り、新しく貰った分をめくりながら氷河が言うと、進藤は片頬を上げてにやりと笑った。
「だーかーら、任せとけって言ったろ? それに、面白かろう? 俺の書くホンは」
 確かにそれは否定出来ない。とんでもなく遅筆ではあったが、進藤の書くものは単純に面白かった。一度進藤の書いた本を読んでしまえば、既成の脚本で……などとは思えない。
 但し、完成が遅すぎるせいで十分が準備が出来ないから、お客さんに見せる段階では面白さも半減してしまうんだけどね。
 心の中でそう呟き、それでも氷河は嬉しかった。
 文字を追い、展開される世界を想像しながら、その場にどんな照明を当てようかと考えると胸が高鳴る。
 今回の話は近未来を舞台にした、テンションの高いストーリーだからゴージャスでサイケな感じがいい。アクションシーンもあるからここをどうにか魅せたいな……カラフルで、バンバン照明が変わって……
 実際使える機材や、灯体の数は全く無視して、明かりやとしては最も嬉しい妄想に浸れる瞬間だった。想像の世界に浸りきっているの氷河の背中を江沢が叩く。
「この辺りまでホンが進んだら、スタッフの仕事も一気に進められるよな。照明と音響のプラン、部活終わった後で演出交えて会議するから」
 江沢に頷きながら、あ、と思い出す。ヒカリを送らなくてはいけない。
「会議って、夜、俺んちでしない?」
 そう提案すると、江沢は僅かに眉をしかめた。
「俺はいいけど……尾上と、音響の伊藤がOKなら」
「二人には俺から掛け合っとくよ。で、鍵渡しとくからさ、先に入ってて」
 氷河は江沢にそう告げると、ポケットから鍵を取り出して江沢に握らせた。

NEXT

アンバー 11」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: アンバー 10 | fresh orange

ただいまコメントは受け付けていません。