アンバー 18

 土曜は授業を取っていない日で、桜木は一日フリーになる。
 ……とは言っても、桜木にはプライベートが殆ど無い。
「潤、今家にいるな?新作が出来たから来い」
 朝一でかかってきた電話に起こされ、寝ぼけまなこで受話器を取ると聞きなれた声が一方的にそう告げて、桜木の返事を待たずに切れた。
 桜木は目を擦りながら置時計を見る。
「…………五時」
 マジかよ。
 始発が出る時間を待って電話してきたんだな……。
 あまりに常識外のこの電話は、しかし、桜木の日常になっていた。
 あくびをかみ殺しながらシャワーを浴び、身支度を整える。コーヒーを一杯飲んで眠気を覚ますと、桜木は「バイト先」へと向かった。

 代官山のマンションの一階と二階。
 一階が「QUAIT」の店舗で、二階がその事務室件作業場。
 QUAITは三年前に立ち上げたブランドで服の他、靴、鞄、アクセサリーを取り扱っていた。
 そして桜木はそこで「広告塔」のバイトをしていた。
 桜木がバイトをする事になったのは自然な流れだった。
 QUAITのメインデザイナーが桜木の兄、パタンナーが従兄弟の諒。最初に出来た服を誰に着せるか、と二人が話し合った時に丁度そこにいた桜木が選ばれた。
 もともと見栄えのするルックスに、ショーモデルほどではないがそこそこの長身とバランスの取れた体型をしている桜木が兄と従兄弟の作った服を着ると、これが驚くほど映えたのだ。
「兄貴だって諒ちゃんだって、スタイルいいだろ、俺が着なくてもいいじゃん」
 面倒だった桜木は最初こう言って抗議したが、兄の一言でばっさり切り捨てられた。
「お前が一番華がある。それに、お前渋谷で散々遊びまわってるだろ。俺たちの服を着て歩き回って宣伝して来い。俺たちのブランドが売れたらバイト代も払ってやる」
 かくして、兄達の作った服が桜木の好みのものだった事もあり、桜木のワードローブは兄の試作品に塗り替えられていった。
 兄達の服を着て歩き回っていると、遊び仲間や知らない人に「どこの服?」と聞かれる事が増えた。最初は店舗が無かったため販売形態は通販のみで、桜木は兄に渡されたPOPをそのたびに配っていた。
 すると口コミでそれがどんどん広がり、雑誌の取材が来るようになり、今では代官山に立派な店舗を構えられるまでになったというわけだ。
 知名度が上がるにつれ、全て手作りをしていた服は生産が間に合わなくなり、しかし手作りを止めたくない、というこだわりから値段が跳ね上がっていった。今では有名デパートに並んでいる一流ブランドものにも負けず劣らずの値段がついている。
 それでも「着たい」という人間が後を立たないのだからすごいものだ。
 最初二人で立ち上げたブランドもメンバーをどんどん増やし、会社として機能するようになっていた。雑誌に取り上げられるくらいなら、俺もお役ごめんかな、と思った桜木だったが、それでも新作が出来上がると一番に桜木が呼ばれる。
「なんで、まだ俺なの?」
 兄の前で真新しいシャツとパンツを身につけ、アトリエを歩き回って見せながら問うと、兄は細いシルバーフレームの眼鏡の奥の目を僅かに細めた。
「お前が一番似合うからだよ。服は、似合う人間に着てもらえてこそ幸せなんだ」
「……そう?」
「お前はちゃんと着こなせてる。服に『着られて』無い。しっかりお前の服になってるんだ。それなのに服の魅力が生きている。お前がそれを着ているのを見れば、いろんな人間が『自分も着たい』と思う。……我ながらいいモデルをみつけたもんだ」
 そう言って満足そうに微笑む兄は、身内ながらになかなか魅力的だった。
 桜木も大きな姿見の前に立ち、しげしげと自分を眺めた。
 ……なるほど、確かに似合っている。
 兄が時間をかけて厳選した布は肌触りのいいものだし、チーフパタンナーの諒の縫製は丁寧で綺麗で、安心して身に着けることが出来る。
 なにより、全てのサイズが桜木にぴったりで、その服を着る事がとても心地よかった。
「……気に入った、これ。ありがと」
 振り返って兄と、その後ろで見守っていた諒に礼を告げると、二人はホッとしたように笑顔を浮かべた。いつも自信満々に見える二人だが、新作を作り、桜木にそれを着せる時はどことなく心配そうにしていた。桜木がそれを見につけ、鏡を眺め、「気に入った」と言うとようやく安心するらしい。
 服に合わせて手渡された帽子をかぶり外に出ようとすると兄に引き止められ、紙袋を手渡される。
「あ、待て。レオトさんに連絡してあるから、寄って行けよ」
 兄に頷いてみせ、アトリエを出る。
 レオトというのはカリスマと騒がれている美容師で、表参道にある有名美容院でトップを張っていた。彼は諒の友人で、QUAITのファンでもある。必然的にQUAITの専属モデルである桜木の専任スタイリストになっていた。
 報酬は新作の服を一着。
 予約もしなければ、金銭を支払うわけでもないので、美容院が開く数時間前に訪れてカットやカラーを施してもらう事になる。今日もまだ朝の七時だが、兄から連絡を貰ったというレオトは新作の服が届くのをわくわくして待っているはずだった。
 人気の無い表参道を歩き、レオトの勤める美容院のドアを開けると、レオトがコーヒーを飲みながら待っていた。
「レオトさん、オハヨ」
 桜木が笑顔で近づくと、繊細な美貌を持つレオトもにっこりと微笑みを見せる。
「潤くん、久しぶり。……あー、それ、新作だね」
 桜木の全身を覆う服を愛しげに見つめる。桜木は兄から持たされた紙袋をレオトに渡した。
「はい、報酬。これと同じシャツだよ」
「やったぁ」
 瞳を輝かせ、さっそく袋から取り出し身体に当てる。
「俺のと色違いだね。……レオトさんに良く似合う」
 正直な感想を告げると、レオトはくすぐったそうに笑った。
「すごく……いいね、こういうシャツが欲しかったんだ。嬉しいなぁ。さっそくお礼の電話しなくちゃ。さて、その前に、やっちゃおうか……いつも通り、お任せでいいかな?」
 言いながら、椅子を勧める。
 その椅子に座り、レオトと一緒に鏡を見つめた。
「お任せします」
「うーんと……あんまり長さは変えないで、梳くだけにして……前髪、伸ばしてみない?きっと潤くん、似合うと思うよ」
「そうだね」
「色は……あのシャツだと……もうすこし、ブラウンを強くしようか?」
 レオトがそう話しながら、桜木の髪をつまんだ。
「茶色か……」
 言いながら、ふと、氷河の姿が浮かんだ。
 ゼラを桜木の髪にあて、「アンバーだ」と微笑んだ無邪気な表情。
 少し考え、鏡越しに繊細な指先で髪をいじるスタイリストを見つめた。
「レオトさん、髪の色は今のままがいいな。根元だけ、頼める?」
 桜木の申し出にレオトは少し驚いた顔で、やはり鏡越しに桜木を見つめた。
 そういえば、今までレオトさんに全てお任せだったからな、と桜木は思い出す。
 服やヘアスタイルはみんな周りが面倒を見てくれていた。本来の桜木はそういった事に全く無頓着なのだ。だから、自分の髪型をどうしたいか、といった事にも興味はない。兄がレオトに連絡をしてくれなければ、きっと半年でも美容院には行かないだろう。ここで頻繁にレオトに手を入れてもらうようになっても、桜木から希望を述べた事は一度も無かった。
 レオトはやがて優しい微笑みを浮かべた。
「……OK。オレンジのままでいこう」
 そして、誰もいないのに桜木の耳もとに口を寄せた。
「もしかして、潤くん、恋してない?」
「え?」
 意外な発言に、鏡に映るレオトを見つめると、レオトはふっと笑ってシャンプー台に向かって歩き出した。
「ほら、シャンプーするから、来て」
 急かされ、レオトの後を追いながら桜木は考えていた。
 ……もしかして、俺、また男に惚れちゃったわけ?

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