みつめる愛で 6

 授業が終わり、学生達は散り散りにばらけていく。
 俺は、さっさと教室を出た桐生を追いかけた。
「桐生」
 呼びかけると、わずかな間の後振り返った。
 こうして二人で対峙するのは初めてだという事に気づき、そのとたん心臓が高鳴っている事に気づきどぎまぎする。
 そんな自分を隠すように桐生の隣に並び、促して一緒に歩き始めた。
 俺を見ていた桐生の視線がふとそらされる。
 並んで階段を下りながら話しかけた。
「すごかったよ。よく出来たレポートで驚いた」
 まだ僅かに残る悔しさを殺してせっかく褒めたのに、横目でちらりと見た彼は全然嬉しそうじゃなかった。
 ゼミの間中見せていた退屈そうな表情でわずかに頷く。
 そして、ぼそりと呟いた。
「お前も」
「え?」
 何といったのか分からなくて聞き返すと、彼は声を少し大きくした。
「冴島のレポートも良かったよ」
 桐生のレポートを、シミュレーションを見る前だったら素直に受け取れたかも知れない。
 しかし俺は自分のものより遥かに優れたレポートを見せ付けられ、おまけに俺のレポートを聞いた後の無感情な桐生の視線を知っていた。
「……いや、負けたよ」
 悔しさはひとしおだったが、少し時間がたった事でショックがいくらか和らぎ、素直に認めてしまえる自分がいた。
 差は歴然としていたから。
 何より、あれだけの資料を作成するのには相当な手間隙をかけたはずだ。考え方を変えてみれば、それだけ真面目に取り組もうとしている人間が近くにいるという事は、単純に嬉しかった。
 ふと、桐生が歩みを止める。
 それにつられて俺も立ち止まり、自然と身長の高い桐生を見上げた。
 息を呑んだ。
 至近距離で俺を見下ろす桐生の視線。
 いつもの、硬質で鋭い鉄のような視線ではなく、わずかに柔らかさが漂っていた。
 目をそらす事が出来なくて、こちらも桐生の瞳を見つめ返す。
 それは一瞬にも一時間にも思えたが……実際は、ほんの数秒だったのだろう。
 ふと桐生は瞳を伏せ、「また来週」というとくるりと背を向けて歩き出した。
 俺は去っていく桐生の背中を見つめながら、もう一度振り返らないかと思っていた。

 「また来週」と桐生は言ったが、学校に来れば彼は学内の何処かにいて、言葉は交わさなかったが今までどおり俺を見ていた。
 あの、ほんの少し会話をしたときに感じた視線の柔らかさが嘘だったのかと思うくらい、俺を見ている彼の視線は再び硬質なものに変化していた。
 奇妙だった。
 同じゼミで、お互いに顔も名前も知っていて、わずかではあるが会話をした事もある。……視線だけでいえば、長い付き合いだ。
 それなのに、学内でお互いを見ても、声を掛け合わない。
 俺を見ている桐生の視線に気づき、廊下のあっちとこっちで見詰め合う。
 桐生を見つけ、彼を見ている俺の視線に彼が気づき、校門の前でお互い友人に囲まれながら視線だけを交わす。
 ゼミで会えば、わずかに会話を交わすことはできた。
 ……もっとも、彼が俺を避けたがっている事はすぐに分かったけれど。
 たとえば、早めに教室に向かい、たまたま俺と桐生が二人きりになる。
 俺は彼の視線に対するわずかな恐怖と、それを上回る好奇心で彼の近くに腰を下ろし、話を振る。
 すると、学食や大教室であれだけ俺を無遠慮に見つめていた桐生が俺に視線を合わせない。
 話しかけた言葉に適当に……いかにも適当に、相槌を打ち、椅子の足を眺め、「話したくない」と全身でアピールするのだ。
何故?
 聞きたかったが、聞けなかった。
「俺をいつも見ているだろ?」
 気のせいだ、と笑われたらどうしたらいい?
 それより、聞いてしまう事で……彼が、俺を見なくなったら。ふいに襲われる得体の知れない恐怖。
 彼の視線を感じることを、いつのまにかわずかに「楽しみ」として受け取るようになっていた。
 具体的に知ったことで、彼に対する尊敬のようなものが生まれていたのかもしれない。 彼が、俺を、見る。
 彼に、見られている。
 俺は、彼の目を引き寄せる「何か」を……出している。

 視線を感じる。
 それは、まるで「自分」に気づいて欲しいために発信されている信号のように感じる。
 振り向く。
 気づいているよ、いつも、俺を見ている事を。
 そう返事をしたいのに。
 俺が視線を捕まえる直前にさっとそらされてしまう。

 終わりの無いゲームみたいだ。

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