アンバー 34

 ブースに入り、開演を待ちながら手元の台本とキューシートを確認する。
 隣に座る伊藤と握手をした。
「泣いても笑っても千秋楽。気合入れていこう」
「はい」
「よろしく!」
 声が客席に漏れないように低く、しかし、しっかりと気合を入れる。
 椅子に座りなおし、客席を見下ろすと、薄暗い客電の下にアンバーの頭が目に入った。
 …………桜木。
 ヒカリが呼んだのだろう。
 前のほうの席で背筋を伸ばして座っていた。
 周りより背は高いが小さな頭がすこし俯いている。膝の上でパンフレットを見ているのだろうか。
 氷河はそのシルエットを目に焼き付けた。
 ……お前に、見せてやる。
 俺の作った明かり、俺の作る世界。虚構だけれど、惹かれてやまない世界を。

 インカムに江沢からの指示が入る。
 氷河は音響の伊藤に合図を出した。
 伊藤が頷き、曲のレベルを上げていく。それに合わせて客電をゆっくりとフェードアウトさせる。
 客席が暗くなるのに少し遅れて、音楽のレベルがマックスまで上がる。
 真っ暗闇の中、体に響く重低音。
 もう一つの世界へ向かうトンネル。
 曲を聴きながら、伊藤とアイコンタクトでフェーダーを動かす。音楽が少しずつ小さくなり、オープニングの軽快な曲が流れ出す。
 夢への扉が開き、ゆっくりと点る明かりの下、世界が浮かび上がる。
 物語が始まった。

 きっかけの台詞に合わせてフェーダーを操作する。
 様々な灯が変わりばんこに世界を照らす。
 舞台の上で登場人物たちが生きて、動いていた。
 客はそれぞれのキャラクターに感情移入し、笑い、泣き、また笑った。
 スモークが焚かれ、舞台に薄く煙が充満する。その中でゆっくりと照明が変わる。
 今まで暗かった灯体から発せられる明かりはそれぞれが意味を持ち、一緒になると全体が一つの作品になる。
 スモークの下、照明の明かりは新たな美しさをかもし出し、まるで天使の梯子のようにも見えた。
 偽りでも、それは完結された一つの世界なのだ。それを実感する。
 音楽が流れ、物語を盛り上げる。
 氷河はクライマックスに向かって疾走する世界を操作する、光の番人だった。
 心を込めて、震えるほど緊張した指先でフェーダーを上げ下げした。
 氷河の灯を、桜木が見ている。桜木のアンバーの髪が、光って見えた。

 やがて世界が暗闇に包まれ、音楽はゆっくりと終わりに近づく。
 カーテンコール用の音楽と照明にそれが変わったとき、客席は大きな拍手に包まれた。
 明るくなった舞台に勢ぞろいした役者陣がホッとしたように、そして寂しそうに微笑んでいた。氷河と伊藤は顔を見合わせて笑った。
 カーテンコールが終わり、客が出口に向かう中、桜木がこちらを見上げるのが分かった。
 ブースは暗い。客席からこちらは良く見えないだろう。
 それでも氷河は瞳を逸らした。
 胸がどうしようもなく高鳴るのが分かった。

 終わった感動を噛み締める間もなく、片付けに入る。二時間のうちに全てを片付け、小屋を出なくてはいけなかった。
 あれだけ苦労して作った装置をばりばりと壊し、破片をガムテープで纏めて一階に下ろす。客席側から灯体を一つづつおろしながらいつも感じる寂しさを味わっていた。
 あっという間に終わっちゃうんだよな……
 あんなに頭を悩ませて作った明かりも、こうやってコード外して、ゼラ抜いて、ぶどう棚から下ろして……そして、なくなっちゃうんだ。だからこそ、価値があり、本当にいいものはいつまでも脳裏に焼き付いているのだろう。
 脚立の上でため息をついた時、下から聞きなれた声がした。
「手伝いましょうか?」
 その声に誘われるように下を向いた氷河は息が止まるかと思うくらいびっくりした。
「桜木? なんで、さっき見て帰ったんじゃないの?」
 桜木は軍手をはめて氷河を見上げて微笑んだ。
「バラシ、手伝います。人手が要るって江沢さんに聞いたから。そういう約束になってたんですけど、知りませんでした?」
 江沢の奴……何も言わなかったぞ。
 脚立の上から江沢を探すと、上手で暗幕を降ろしながらこちらを見てにやりと笑った。
 ……何考えてるんだか。
 仕方なく氷河は、たった今外した灯体を桜木に渡した。
「これ、あっちの端に並べて置いて」
「コードはどうします?」
「後で俺がまとめるからとりあえずそのままでいいよ。蹴っ飛ばすなよ」
 桜木が受け取った灯体を大切そうにかかえた。
 その姿を見ながら、公演が終わったあとの心地よい疲れとともに、ごく自然に自分の想いを認めている事に気づいた。
 ……俺、ずっと前から桜木が好きだったんだ……
 バラシが済んだら……伝えないといけない。
 ……なんて言おうか…………

NEXT

アンバー 34」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: アンバー 33 | fresh orange

ただいまコメントは受け付けていません。