視線

彬が、消えた。

ある日、いきなり消えてしまった。
携帯が解約されている事に気づいたのは、最後のデートのあと、三日たってから。

変わった様子は無かった。
それまでと、同じだった。
最後にした、キスも。
石田を見て、微笑んだ瞳も。

携帯が解約されていることに気づき、内心石田は青ざめたが、すぐに彬が、連絡をくれるだろうと信じていた。
「携帯、変えたんだよ」
と、いつもの涼やかな声で。

携帯が解約されて、それから二日たっても何も連絡が無いことに業を煮やした石田が、密かに部下を使って調べていた彬の住所に踏み込んだ時には、完全にタイミングを逃していた。

思えば、彬は自分の事をほとんど何も語らなかった。
仕事も、友達も、子供のころの話も。

つかみ所が無かった。
それが、魅力だとも、思ったのだった、と。
彬の住まいである住所へと車を走らせながら、石田は頭のどこかで考えていた。

経済ヤクザ、というのだそうだ。
あまりにありふれたいろいろに、ありふれたルートを辿った。
石田は、親の職業を形をわずかにかえて、そのまま継いだかたちになる。
そのことを深く考えたことも無かったが、彬が借りていたという白い下見板が張られた欧風のアパートを前にしたとき、自分と彬が置かれた環境の違いをはっきりと身にしみて石田は感じた。
この白い壁は、あまりに自分とはミスマッチだった。

二階の西側の部屋。
彬の苗字と、「大江」という苗字が並んでいた。
ルームシェアをしているらしいといのは、すでに調べがついていたが、それでも手書きの表札を睨んだ石田の胸には、確かに泡立つものがあった。

*****

大きく一歩踏み込み、後ろ髪を掴むと強く引いた。
ふいをつかれたのだろう、大江は「ひ」とかすれた声を上げてのけぞるように顔を上向かせた。
脅えているくせに、瞳に強気な光を宿して真っ直ぐこちらを睨む。
いいカオだ。
クラクラする。
石田は舌なめずりしたいのをこらえて、ゆっくり大江に顔を寄せる。互いの息がかかるくらいまで顔を近付けると大江の薄茶の光彩に映るのは、精悍な石田の面差しのみだ。
大江は瞬きもせずに石田を睨んでいたが、大江の髪を掴んだ石田の手には、彼の震えが伝わっていた。
「何も、お前を取って食おうってんじゃない」
低い石田の声が響くのに、大江の肩が反射的にすくむ。
「彬さんの居所を知りたいだけだ」
周囲をすくませる石田の低音は、恋人の名を口にする時だけ、微かに響きが柔らかくなる。
「彬さんと、一年以上もシェアしていたんだろ? 親しいはずだ。あの人が、どこへ行ったのか。知っている事を言え」
しかし、大江は頑なに石田を睨み上げたまま口を閉ざした。
「このガキ。聞こえねぇのか」
それまで石田の言いつけを守り、沈黙を貫いて成り行きを見守っていた部下が声を荒げた。
血の気の多いヤツは、ある面では扱いが簡単だが、ある面では面倒だ。
石田は舌打ちして部下を黙らせ、大江の瞳を覗きこんだ。
女のように化粧を施しているわけではないのに、ぱっちりとした大江の瞳には強い意思の力が煌めき、石田の全てを吸い込もうとする。
石田は一瞬、何もかもを忘れて大江の瞳に魅入っていた。
「……知っているけど、言う気は無い、か」
暫しの睨みあいとも言えない視線の応酬の後、石田が呟く。
それでも大江は唇を固く結んだまま、小さく震えながらも石田から視線をはずさなかった。
大江の浅い呼気が石田の唇を擽る。
それは、彬との激しいキスよりも石田を興奮させた。

「…お前、あの人が残したものを引き受けるって事になるぞ」
す、と髪を掴んでいた手の力を抜いて石田は言った。
それに気付くのが数秒遅れたのか、大江は何にも拘束されないままに、不自然な体勢で僅かのあいだ石田を見上げていた。が、一歩後退ると首を振って顎を引き、石田になおも鋭い視線を飛ばした。
姿勢を戻す大江を見つめながら、石田は掌に残った、いつのまにか抜けた大江の髪の毛の数本を握り締め、摺り合わせてその感覚を味わっていた。

石田の口元には、いつのまにか微笑が浮かんでいた。
それは、どこか獰猛さを滲ませる。

この白い家は、石田の置かれた環境とは似ても似つかないが、大江の強い瞳は、通じるものがある。

石田は、こっそり舌なめずりしながら、大江をじっと見つめた。

Fin