みつめる愛で 11

 桐生の下宿先は、込み入った住宅街の中の年季の入ったアパートだった。
 思わず外観を見て、築何年だろうと計算したくなってしまう。
 こんなアパート、まだ残っていたんだ。
 古さもある程度を越えると、貴重に、いい意味に「レトロ」と思えるから不思議なものだ。
 下見板は長年雨風に晒され続けたせいで見事に黒く変色し、ギロチン窓を支える木の窓枠だけが、ペンキを塗り替えたのか白く目立っている。
 それでも、窓枠がサッシじゃないというだけで十分時代を感じさせるけど。
 アパートの前に立ち、全体を眺める。
 なんとなく、桐生という男とこのアパートがとても良く似合っているような……相性がいいような、そんな感じがした。
 手に持った名簿のコピーで部屋番号を確かめ、門をくぐる。
 暗い廊下を辿ると突き当たりの部屋に「桐生」と表札が出ていた。あたりを探したがチャイムが無いので、仕方なくドアを遠慮がちにノックする。
 学校へ行けば視線を合わせていたから、彼の時間割が俺と大体同じ事は知っていた。そして経済学部の授業が少ない今日は、俺と同じに彼も休みのはずだった。
 ノックをしたが返事が無いため、もう一度力をいれてドアを叩く。ただし、いかにも脆そうなドアなので程ほどの力で。
 それでも、返事が無かった。
 出かけているのかもしれないし、授業が無くても学校へ行っているのかもしれない。
 シャツを入れた袋をドアのノブにかけて帰ろうかと思ったが、それではせっかくの彼と話せるチャンスを台無しにしてしまう。また日を改めて来ようと決め、家に帰ることにした、
 なんとなく沈んだ気分でアパートを出ると、オートバイがすぐ近くで止まり、エンジンを切った。
 意識せずに目を向けると、ライダーがフルフェイスのヘルメットのままこちらを見ているようだ。
 ここの住人かな、と見当をつけ軽く会釈して背中を向けるのと、向けた背中に慣れた視線を感じるのとがほぼ同時だった。
 ……あ。
 振り返ると、ライダーがヘルメットを外したところだった。
 やっぱり。
 ヘルメットの下から、桐生の精悍な顔が現れる。
 その彼が驚いた顔を隠さずにこちらをじっと見ていた。
 視線にいつもの鋭さが無いのは俺の不意打ちにびっくりしたからだろうか。
 きっと、俺だけが感じ取れる桐生の視線の変化。
 それが少し面白くて、多分、口元で少し笑ったのだと思う。
 桐生の視線はゆっくりといつもの硬質なものに変化していった。
「……どうしたんだ、こんなところで」
 桐生の声は低く、よく響く。
「これ」
 と、袋を掲げて見せた。
 怪訝な表情を隠さない桐生に笑いかけた。
「昨日……シャツ貸してくれたの、桐生だよね?」
「あぁ」
 納得したような顔をして、跨っていたバイクから降りた。鍵をかけ、こちらへゆっくりとした歩調で歩いてくる。
 俺はそんな桐生を見て、笑いかけた顔のまま固まってしまった。
 ……こんな状況は、過去に無かった。
 学校の外で会う事、話をする事、プライベートの桐生を見ること……彼が、俺に向かって歩いてくる事。
 無意識に一歩、後ずさる。
 それに気づいた桐生が立ち止まった。
 二人の間に出来た距離が微妙で、俺はどうしていいか分からなくなる。
 この紙袋を手渡すには……近くに寄らなくてはいけない。
 しかし、「桐生と親しくなる」という大決心をしてここまで来たというのに、肝心の桐生を目の前にしたとたん、俺は情けないことに怖気づいていた。
 桐生の見えないオーラに圧倒されてしまった、といっても良かったかも知れない。
 同じ年の、同じ学校で同じ授業を受けている男だとは思えない、何か。
 内側から発するエネルギー。
 それが、熱く燃え滾っているのが離れていても感じられる。
 桐生を見つめながら唐突に思った。
 こいつも、学校では本当の桐生ではないのだ。エネルギーを抑え、なだめすかし、あそこで生活を送っている。
 桐生をじっと凝視している俺を見て、彼はどう思ったのか。
 視線の強さが解け、ふっと微笑みを浮かべたのだ。
 信じられなかった。
 目の錯覚かと思った。
 彼と出会って、丸二年が過ぎて。同じゼミで、ある意味「仲間」として顔を合わせるようになっても、どこかつまらなそうな、馬鹿にしたような表情しか見たことが無かったのだ。
 現実だろうか?
 ……彼が、俺に向かって微笑んだ。
「体、もう大丈夫なのか?」
 ゆるくほどけた、その表情のままで問う。その声すら、俺が知っている桐生の声とは違った暖かさがあった。
 言葉も無く頷く俺に、彼は少し躊躇した後、一歩歩み寄った。
 俺が、また逃げないように。まるで驚かすまいというように、ゆっくりと。
 俺は感動と興奮がない交ぜになったままで……沈黙を作りたくなくて。意識して大きく息を吸い込み、何とかしゃべり出す。
「昨日、桐生が……医務室まで運んでくれたの?」
 声がいつものようにスムーズに流れないのは、緊張しているせいだ……普通に考えれば緊張するような場面では無いのに。
 桐生は静かに頷く。
「いきなり倒れたから……驚いた」
 迷惑をかけて、と思っただろうか……きっと思ったに違いない。授業を中断させてしまったのだろうし。
 不愉快な感情を思い出させる前に、先に謝ってしまおう。
「ごめん、迷惑をかけた」
 頭を下げる。
 すると、不機嫌そうな声が上から響いた。

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