chocolate box #4 1

 午後の日差しが差す非常階段で、凛は長い時間、携帯を片手に考え込んでいた。
 普段は出来るだけ考えないようにしていたが、もう随分立川に会っていないような気がする。これまでもしょっちゅう会って来たわけでは無かったが、それにしても今回は長すぎるような気がした。
 前回の逢瀬を思い返す。どんな会話をしたのか、とか、立川がどんな表情で笑ったのか、とかそんな事ではなく。
 あれは何時だったか。
 そこからたった日にちを数えて愕然とした。もう一月は過ぎている。
 …一月も、顔を見ていない。
 凛は俯けていた顔を上げて、短い文章を打つ。散々頭の中で考えていた言葉は簡潔で、それでいて立川も不快にならないような。そんな文章になったはずだ。もちろん、寂しい、などといった凛の想いも前に出すぎないように。
 凛の指が動いてメールを送信する。
 それからひとつ溜息をこぼして非常階段と廊下を繋ぐ扉を開けると、午後の倦怠が支配する暇すぎるオフィスへと向かった。

「仕事が一段落して、時間を取れるようなら行こう」

 その言葉だけを頼りに、凛はもう二週間もそのバーへ通い詰めていた。
 三杯目のカクテルを飲み終えて視線をドアへと移すが、目的の男がやってくる気配は無い。時刻はすでに23時を回り、男のバックグラウンドを考えても、今夜も不発に終わったと思ったほうが良さそうだった。
 自然と背中が丸まり、溜息が漏れる。
 男には家庭があり、二人の子供もいた。
 凛がひたすら待ち続け、男はたまたま夜の数時間、何も予定が無ければ凛と時を過ごす。凛が待っているのを知っているから。凛が、耐え切れずに寂しい、と訴えるメールを送ってしまうから。
 完全に一方通行だった。
 それでも凛の足は、どうしても出会った場であり、自然と待ち合わせ場所にもなったバーへと向かってしまう。約束とはとてもいえない、曖昧な言葉に希望を見出そうとして。そして毎晩、がっくりと肩を落として帰途へつくのだった。

 ……今夜も、ダメ、か。

 重たい気分で空になったグラスをカウンターの奥へと押しやったその時。
 カラン、と乾いたベルの音がしてバーのドアが開いた。
 一瞬凛の動きが止まり、弾かれたように音のする方向へと顔を向ける。
 待ち人がついに来てくれたのかと思った。

「アレ、香坂さん。久しぶり」

 入って来た男へと顔を向けたバーテンが嬉しそうな声をかけるのと、凛がさっきよりも深く肩を落とすのとほぼ同時だった。
 香坂と呼ばれた男はにこりと笑顔を向けて、颯爽とカウンターへ向かう。そして無造作に凛の隣のスツールに片手をかけた。
「失礼。隣、いいかな」
 低くよく通る声だった。
 凛は待ち人がこない事に今更ながらに落ち込みながら、小さく頷く。一月半も会っていない。その事実が今更ながらに押し寄せて、隣に座った男へ気を向ける事まで頭が回らなかった。
「ドライマティーニ」
 彼がバーテンへと注文をしている声を聞きながら、凛は再び深い溜息をついてスツールを降りようとした。
 今夜はもうダメだ。帰ろう。
 まだそこに居たがる気持ちになんとかケリをつけてスツールを回そうとしたところへ、隣に座る男の腕が伸びてきた。
 凛の片腕に軽くその手を添える。
「帰ってしまうのかね? 君がいるから、隣へお邪魔したというのに……それとも、誰かと待ち合わせかな?」
 おどけたような声色で、男が話し掛けてきた。
 思いがけなく引き止められているらしい事に気付き、体の動きを止めて身を捩って男を振り返った。
 綺麗な男だった。
 そろそろ中年にさしかかろうとしているらしいその年齢を飾る、渋さがある。切れ長の瞳に笑みを湛えて凛を見ていた。
「……もう、遅いから」
 なんと言っていいものか分からず、ぼそぼそと口の中で言い訳をすると、男は片眉を器用に持ち上げた。
「一杯だけ、付き合わないか? 私は一人で酒を飲むのが苦手でね……隣にいてくれるだけでいいから。……私の気晴らしに、力を貸してくれるととても有難い」
 凛はまじまじと男を見遣った。
 男は口角を持ち上げて、軽く首を倒して見せた。

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