あなたのとりこ 1

あなたのとりこ

フランスに居たことがあるのだという。
いつだったかぽろりと呟いたのを、晴樹は恭の大事な情報としてしっかりインプットしていた。数ヶ月、パリでアパルトマンを借りて暮らしたそうだ。
だからだろうか、恭はどことなく西洋かぶれな雰囲気を持っていた。
しかし、何をしにパリへ行ったのかとか、パリのどこに行ったのかとか、生活はどうだったのかとか、そういう話は一切してくれなかった。だから、晴樹は恭がフランス語が出来るのかどうか知ることは無い。

恭が意地悪で話さないわけでは無い事は、よく判っている。
晴樹の質問の、たとえば100のうち99は無言の回答なのも…恭が、非常に無口なだけで、悪気は無いのだと判っている。
そんな無言を貫いて生きている恭に、晴樹はどうしようもなく惚れている。勇気を振り絞って好きだと告げたその返事もまた無言だったけれど、晴樹の都合のいいように解釈して今日に至る。暖かな時期だったせいもあるのか、晴樹はとても楽天的な気分で、そして恭は無言だったけれど晴樹をはっきりと判るくらいには拒否しなかった。

晴樹の仕事が休みになる水曜の午後は、デートの時間だ。
半年の間にいつの間にか二人の決まりになったが、それも晴樹が毎回しつこく恭を誘った成果でもある。今日は映画を見た帰り、広い公園の脇の道をぶらぶらと歩いていた。このまま行けば恭のアパートがある方向だ。まさか四駅ぶんを歩くつもりじゃないだろうかと、晴樹は内心危惧しながら恭と並んでゆっくりアスファルトを踏む。恭の事だから、自宅まで歩く可能性は十分に高い。
12月の晴れた午後は、日差しは暖かいけれど空気が冷たかった。歩きじゃなく電車に乗りたかったのだが、恭が公園に向かって歩き出したので、自動的に二人は散歩をすることになったのだ。自慢じゃないが晴樹は寒さが苦手だ。しかし恭の本能に任せた行動には無言で従う。それがいつの間にか二人の間に出来たルールのようなものになっていた。
……いや、恭がそれに気づいているかは定かではない。好き勝手に、気分の赴くままに行動する恭は、誰かに合わせるという事はしない。少なくとも、晴樹に合わせたりはしない。だから晴樹が恭に合わせる。そうしなければ、何も成り立たない。
映画でも見に行こうよ、と晴樹が恭を誘い、恭は誘われた時は無言だった。だから、そんなに乗り気ではないのかと思っていたら、火曜の深夜、晴樹の携帯に恭から珍しくメールが届き、それに映画館の名前と時間だけが書かれていた。あまりにそっけないメールだったが(映画のタイトルすら書かれていなかった)恭からのメールが嬉しくて晴樹はニヤニヤと笑ってしまうのを抑えられなかった。
そして、晴樹のために…いや、二人の時間のために、恭が、あの恭が、時間と手間を割いて映画を選んでくれた事がとても嬉しかった。
平日の午後一番の映画はとても空いていた。レディースデーが無い映画館だったせいもあるかもしれない。それにしてもガラガラだった。しかし、映画自体はとても素晴らしくて、晴樹は改めて恭のセンスに感心した。
恭は口数は多くないが、いいものを嗅ぎつける、かなり優秀な鼻を持っている。
映画でも芝居でもコンサートでも美術展でも食事でも買い物でも。
ミニシアターの映画は、監督も役者もマイナーだったが作品は秀逸だった。シュールで少し難解で、でもお洒落で、あったかくて。なにより地味を好む晴樹のツボに合っていた。
セレクトを恭に任せて良かったとしみじみ感じ入りながら、晴樹は黄色い落ち葉を踏んだ。

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