海へ行こう 2

海へ行こう 2

山道を抜け、地方都市を走り、平坦な道路が続くようになってきた。
ベッドタウンを通り過ぎながら、海が近付いてきているのを感じてドキドキする。
開け放った窓から入り込む風に、やかて潮の匂いが混じってきた。

はやる心を抑えて車を駐車場に停めると、真っ青な海に向かって競うように駆け出した。
26にもなって、子供みたいだけれど、砂浜を全力疾走して、靴を脱ぎ捨てる。
海水浴場ではないので人気の無い海は、遠くにサーファーの姿があるだけだった。
ズボンの裾を膝上まで巻くって、波の中に入っていく。
冷たい海水に、頭の芯で澱んでいたものが煙の様に消えていくようだ。
波が引くたびに、足の裏の砂が流れていく感触を堪能した。
ふと、悪戯心が芽生え、隣で同じように両足を水に浸して目を閉じている哲平に、両手ですくった
水をかける。
「うわっ」
不意打ちに哲平は素っ頓狂な声を上げ、こちらを見てにやりと笑った。
瞳には挑戦的な光が浮いている。
「……やったな」
その声は、昔大好きだった、何かを企むときの声色。
てっきり、同じように水をかけてくるのだろうと思い身構えると、哲平はいきなり飛びかかってきた。
「え、わ、わぁっ!!」
転ぶまいと哲平につかみかかったが、哲平の方が勢いがつきすぎていた。
哲平の体重を支えきれず、一緒に海の中に転がる。
海水の中に全身が浸かる感覚を一瞬味わい、次の瞬間、水中で哲平がぎゅっと俺の体を抱きしめた。
気のせいかもしれない。
一緒に急に水に潜ったことに対する条件反射のようなものかもしれない。
ただの思い込みかもしれなかったけど、確かに全身に哲平の質量を感じ、両腕の間に閉じ込められた
感覚があったがすぐに開放された。
水中から身を起こし、顔を拭うと、すでに立ち上がっていた哲平が弾けるように笑った。
「この、お前、びしょ濡れじゃないか。服のまんまだぞ」
抗議すると、哲平は自分を指差す。
「俺も」
「じゃなくて!これじゃ車に乗れないだろ」
「自然乾燥すればいいよ」
あっけらかんと言い放ち、今度は自分から波にもぐった。
「気持ちーよ!ヤスも来いよ!」
せめて、服を脱ごうよ、と半分呆れながらも、すぐに哲平に続いて波間に飛び込んでいった。

服のままで散々大騒ぎをした俺たちは、西の空が赤く染まり始めた頃になってようやく海から上がった。
パンツ一丁になって濡れた服を車のボンネットに広げる。
「……乾くかなぁ」
一応絞ったのだが、シャツの裾からは水滴が垂れていた。
「生乾きでもいいよ。ある程度乾けば」
哲平はのんきにそういうとボンネットによりかかり、大きく伸びをした。
「あぁー、気持ちよかったなぁ」
その場その場を全力で楽しむ、というのが俺たちのモットーだった。
後のことは後で考える。
とにかく今を楽しむ!
そういう風にして高校時代を過ごして来た。
幼いといえばそうなのだろう。でもシンプルで、とても分かりやすい生き方だった。
哲平は、あの頃と変わらないスタンスでいる。
俺はどうだ。
……哲平から、あの頃から大きく遠ざかってしまった。
学生の頃はまだ、単純だったような気がする。
就職し、世間の荒波にもまれ、自分が変わっていくのをおぼろげに感じていた。
就職した先は一流と呼ばれる会社だったが、職場は「周りはみんな敵」という空気で、誰かと親しく話した事
などない。ひたすら自分の成績を上げる事だけに夢中になっていた。
誰かを蹴落とし、自分が這い上がる、という考えが普通になっていた。
年齢の割に出世もしたが、無くした物の大きさも感じていた。
哲平も営業をしているというが、きっと俺の所とは全然違う職場なのだろうと思う。
一緒に働く仲間を思いやり、愛し、愛されて仕事をしているんだろう。
たいして疑問ももたずにやってきていたが、ここで、パンツ一丁で並んで立っていて、ふと自分が
惨めに思えた。目の前に広がる海を見つめていると、本当に自分がちっぽけな存在なのだと思い知
らされる。
ちっぽけな俺は、休みが終わり、東京に戻ったら、また毎日険しい顔をして馬車馬の様に仕事をす
るのだろう。
いつ、部下に抜かれるか、引きずり落とされるか恐れながら。
もっと上に這い上がろうともがき、崩れそうな壁を見つけたら叩き潰す準備をしながら。
憂鬱に侵食されてため息が出た。
「どうしたの」
のんびりと哲平が話し掛けてきた。
「え?」
哲平を見ると、凪いだ海面を見つめながら静かに笑う。
「ため息なんてついてさ。さっきまでは子供みたいな顔してたのに。またオトナの顔に戻っちゃっ
てる」
返す言葉がなくて、黙り込んだ。
「本当はさ、一昨日の昼、駅のロータリーで偶然ヤスを見かけたんだ。長い間会ってなかったけど
、すぐに分かったよ。すごく嬉しかった反面、腹も立ってた」
言葉の割に、腹が立った事なんて生まれてから一度もない、というような穏やかな表情だった。
「帰ってきているんなら、電話して教えてくれたらいいんだ。俺、ずっと待ってたのに。待てど暮
らせど、一向にヤスが連絡くれないから、俺から電話したんだぜ」
「……ごめんな、義理の無い友達で」
なんて言っていいか分からず、多分この場にあまりふさわしくはないだろうけど、取りあえずそれ
っぽい言葉を吐いた。
それを聞くと哲平は肩をすくめ、海を見たまま言った。
「なんか、嫌な事しちゃってヤスに嫌われてるのかと思った。だから連絡くれないのかなって。で、
勇気振り絞って電話かけたら、ぜんっぜん昔と変わらない調子でしゃべるからさ。気が抜けたよ」
確かに、そう思われても仕方がないくらい、自主的に誰かと連絡を取るという事をしていなかった。
返す言葉も無く、黙りこくる。
「でも、良かった」
周はボンネットによじ登りながら元気に言った。
「また、こうやって会えて」
そしてこちらを見て、にっこりと微笑んだ。
本当だ。
「八年かかった。ずっと連絡できなくて。一昨日のヤスを見なかったら、きっと決心できなかった」
それを聞いて暖かいものがじんわりと広がり、胸が詰まった。
ずっと、俺を忘れずにいてくれたのかと。
それだけでとても嬉しかった。
「ヤスは、俺のことなんてすっかり忘れてたろ?」
苦笑しながら言われ、頭を掻いた。
「……正直いうと、ほとんど思い出さなかった。毎日に追われて、一日を乗り切るだけでいっぱい
だったから。随分年を取ったような気がするよ」
哲平は、やっぱりな、と小さな声で言い、頷く。
「一昨日の顔みたらわかるよ。すごく疲れていて、今にも死にそうになってたから」
そんなにひどい顔をしていたのか。
自覚してなかったけど。
頬を手のひらでさすりながら他人事の様に思った。
「あっちでの暮らし、辛いなら帰ってこいよ」
思いがけない言葉をかけられ、驚いて振り返る。
ボンネットに座る哲平は真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「あんな顔して生きているなんて、ヤスらしくないよ。俺はヤスが東京で充実して生きてるんなら、
連絡くれなくても、全然会えなくてもいいんだ。でも、そうじゃないなら許さない」
なんと言っていいものか、しばらく迷った。
充実していないわけではない。
人間性が無くなっている、というそれだけなんだ。
……それだけ、というのもおかしな話だけど。
「不幸なわけじゃないよ。仕事が忙しすぎるだけだ。でも、その仕事にもやりがいは感じている。
多分、疲れていたんだと思う。これからはあんまり疲れないようにするよ」
なんだかよく分からない言葉で締めくくると、哲平は俺の目を睨みつけるかのようにじっと覗き込
んだ。
「さっきの言葉、嬉しかった。ありがとう。でも、まだ東京でやることがあるからこっちには帰れ
ないんだ。……あっちでの住所、教えるから。いつでも遊びに来いよ。俺からも電話するようにす
る」
そういうと、哲平はしばらくして俺を見つめた後で不敵に笑った。
「たまに、ヤスの顔見に行く。で、とんでもない表情見せてみろ、いつでも連れ戻すからな」
哲平が、来るかもしれない。
たまにだと思うけど。
でも、そんな可能性がある未来を思うだけで憂鬱が晴れていった。
「来たら、帰さないかもしれないよ」
からかうように言うと、哲平はふふんと鼻で笑う。
「逆に居座ってやるから」
すっかり暗くなった空には月が浮かんでいた。
絶え間ない波音を聞きながら、満ち足りた気持ちで俺は微笑んだ。

END

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