Lost Day
馬鹿みたいだ、自分でそう思う。
一体、何を期待していたんだろう。
自分が情けなくて、消えてしまいたくて、でもそれを無理矢理感じないようようにする何かが働く。
自分の事なのに、自分の事じゃないみたいに。
まるで傍観者みたいに、遠くから俺を見下ろしている俺がいた。
……去年は、どうしていたんだっけ。
携帯を握り締めながら、図書室へと続く廊下をノロノロと歩く。
窓から西日が差し込んでいる。
細長い、オレンジの。
その角度を見て、ああ、冬なんだな、と改めて思う。
去年は…………確か、あの人と一緒にいた。
あの人が、たまたま声をかけて誘ってくれた日が、ちょうど俺の誕生日で、本当にただの偶然だったのだろうけれど、俺は飛び上がって喜んだ。
本当は、あの人がそれを知っていて声を掛けてくれたんじゃないか、なんて勝手な想像までして。
大喜びで、あの人に指示された場所まで飛んでいった。
案の定、あの人はそんなことは知らなくて、俺がさり気なく
「今日で、16になった」
と言ってみると、
「え?」
と驚いた顔をして、それから笑った。
「おめでとう。なんだ、そんな日にお前を誘ったなんて、俺ってスゴイじゃん」
って。
前もって聞いてくれなかったな、とか。
俺のことなんて本当はどうでもいいんだろう、とか。
この人の誕生日を当然みたいに俺が知っていて、贈り物をしていた事とか。
そういうの、全部。
どうでも良かった。
多分、感じないようにしていただけなんだけど。
でも、一緒にいられたらそれで良かった。
狭い車の中で抱き合って、ぱんぱんに膨れ上がったあの人自身を体の奥深くに受け止めながら、俺はもの凄く幸せだった。
一年も前の事、覚えていてくれるはずが無い。
そんなこと、分かりきっていたのに。
握り締めた携帯は、今朝から一度も鳴っていない。
かろうじて友人と呼んでいいのだろうかと悩むクラスメートは、朝一番に照れくさそうに「ハッピー」と呟いた。すごく中途半端で、俺は少しだけ笑ってしまった。
家族以外の誰も、俺の生まれた日なんて、気にしていないと思っていたから、それが少し嬉しくて。
期待した。
放課後の長い廊下に人影は無い。
ただでさえ、特別教室の並ぶこの棟の最上階は普段でも人影が無い。
ひとつ下の階には音楽室があって、そこで楽器の練習をしている音が聞こえてきた。
音階の高い音になると音が掠れるのを聞きながら、立ち止まって携帯を開く。
そんな筈は無いのに、俺の気付かない間に振動したんじゃないかと思って。
けれど、案の定。
携帯の画面には日付と時間しか表示されていなかった。
恐ろしくいい加減で適当な人で。
多分、誰かの誕生日を覚えていたりとか、記念日とかなんてなおさら。
まるで気にもしていないだろう。
そんな事分かっている。
そういう事全部に無関心で、自分の好きな事だけを目を輝かせて追っている、そんな表情が好きだった。
冷たいようにも見える深い眼窩が、好奇心を擽るものに出会ったときだけ、楽しそうに色合いを変えるのがとても好きだ。
それに比べて、細かい事をいちいち気にして落ち込んだりへこんだり、喜んだりする自分がとてもガキくさくてうんざりする。
あの人との歳の差は一回り。
俺も、あの人と同じくらいの年齢になれば、ああいう風に細かい事は気にしないで生きる事が出来る人間になるのだろうか。
図書室の前で足を止め、中庭に向けられた窓の前に立ちすくんでいると、いきなり後ろから声を掛けられた。
「あれ、桝山?」
思いにふけっていたところから現実に引き戻され、慌てて振り返ると、クラスメートの顔があった。
とっさに名前を思い出すことが出来ない。
けれど、彼が座っている席は分かる。
よく日に焼けた、明るい笑顔。
彼は遠慮なく俺の肩を叩いた。
「図書室に来たんじゃないの? 入らないのか?」
「……あ。うん」
曖昧に頷き、彼と一緒に中へ入った。やばい、まだ名前が思い出せない。
「俺、夏休みに借りた本、ずーっと借りっ放しでさあ。今日ようやく返しにきた」
彼は朗らかに笑って、カウンターへと向いかけ、それからふと立ち止まって振り返った。
「桝山」
「え?」
「お前、今日ハッピーバースデーの日じゃねえ?」
思いがけない人からのその言葉に、俺は狼狽しながらも曖昧に頷く。
すると彼は、おお、と丸い目をもっと丸くして、そして笑みを深めた。
「おめでとさん。これでお前もセブンティーンか」
声も、顔も、全然違うけれど。
でも、その言葉の言い方が、あの人ととても似ているような気がして。
俺は一瞬何も言えずに、彼の顔をじっと見ていた。
「あれ、違った?」
何も答えない俺に、彼はまずい、というような表情を浮かべたので、慌てて首を左右に振ってみせる。
「違わない。今日だよ……ありがとう」
ありがとう。
俺は、君の名前も曖昧で思い出せないどころか、君の誕生日も知らないし、知ろうとも思っていなかったのに……。
けれど、彼のその言葉が嬉しくて。
でもどうしたらいいか分からなくて、書架の間に身を隠すように滑り込んだ。
目の前にある本に適当に手を伸ばす。
一冊を抜き取り、真ん中あたりを開いて、瞳を閉じた。
もう少し。
あの人が、俺の誕生日を覚えているなんて思えないけれど。
でも。
もしかしたら。
まだ、帰りたくない。
あの人がいる場所にいたい。
鳴らない携帯は制服のポケットの中で息をひそめる。
俺は西日が細長く差し込む書架の間で、何の本だか分からない本を持ったまま、立ち尽くしていた。
Fin