「……ふうん」
社会科準備室の窓から、暮れ始めた空が見える。
俺の年上の従兄弟であり、この高校の地理教師であるシイナ先生は、タバコの煙を吐き出しながらのんびりと呟いた。
教室で、本当に情けない事だけれど涙がこぼれそうになるのを堪えながら鍵を探したけど、見つからなくて。
仕方がなくて職員室へと向かおうとした矢先、職員室のある一階の廊下で付き合いの長い従兄弟に捕まったのだ。
俺の顔を見て何かを察したのだろう。
有無を言わさず、従兄弟の教える教科の準備室へと引っ張り込まれ、冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを一本渡され、「どうしたんだ?」と落ち着いた、穏やかな声で聞かれて。
俺は、不覚にも一粒だけ涙が落ちた。
年上の、甘やかし上手なこの従兄弟に、俺は弱い。
……そして、どっちが先かとか、後かだなんて、にわとりと卵を論じるようで本当にしょうがないけれど。
従兄弟と龍之介は同じ空気を纏っていた。
「真琴は、いろんなモンに嫉妬してるんだなあ」
「……嫉妬?」
従兄弟の言葉が意外で、俺は缶コーヒーに口を付けながら上目にこの若い教師を見上げた。
「嫉妬、とか。いろいろ。真琴くらいの歳だとね、よくあるよ」
「……」
本当は、肌寒いこの季節、ホットのコーヒーの方が良かったけれど、既製品の飲み物の甘さは俺の中の何かを少しだけ溶かしてくれたようで、俺は何となく安心したようなものを感じながら従兄弟が唇から煙を吐き出すのを見つめる。
龍之介も、いつか煙草を吸うようになるのだろうか。
「真琴と、龍之介君は、仲良いからね」
「……龍之介は、いろんな人と仲良いよ」
別に、俺だけじゃない。
俺には、ほとんど龍之介だけだけど。
そんな事を考えてまた泣きたくなった俺の頭を、よしよしというように従兄弟は大きな掌で軽くたたいてくれた。
ぽん、ぽん。
「でも、真琴と龍之介君は特別でしょ?」
従兄弟の言葉の意味が良く分からなくて、俺は目を眇めて従兄弟を見る。
従兄弟は煙草を灰皿に押し付けて火を消しながら、俺と視線を合わせたまま小首を傾げた。
「真琴に取って、龍之介君は特別でしょ。龍之介君にとっても、真琴は特別だと思うよ」
「………そんなこと」
「俺は、君達よりすこーしだけ長く生きてるし、君達を長く見てきたし、幸いにも接する機会も多いし。何となく分かるんだよ」
偉そうな言葉に、でも何も言い返せない。
俺にとって龍之介は、もちろん特別中の特別で。
俺にとっての龍之介がそうであるように。
形は違ってもいいから……龍之介にとっても、俺が特別な、………幼馴染で、友人であればいい。
自分の中に、いつのまにか生まれてしまったいびつな恋を、成就させようなんて大それた事は望まないから。
ただ、龍之介と繋がっている糸が、切れてしまうのが怖い。
「真琴」
飲み干した缶コーヒーを燃えないゴミのくずかごに捨てた俺を、従兄弟は呼び止めた。
「ただ、怠惰な人間になっちゃ、だめだよ」
「……タイダ?」
「そう。人間個人も、それを繋ぐ関係も、ずっと変化し続けるから。龍之介君が、真琴から目を逸らしていられないくらいに真琴も走り続けないといけない」
この教師になった従兄弟は、俺の血筋の中ではもっとも賢い。
賢すぎて、従兄弟の言葉は、馬鹿な俺の頭では理解しきれないところがいっぱいあるけど。
とりあえず、頷いて。
準備室を後にすると廊下を走って職員室へと向かった。