crossing 1

 石畳を踏みながら坂道をまっすぐに降りる。
 信号はあるが滅多に車は来ないので、そのまま突っ切った。人も車もいない交差点の真ん中でトラムのレールを踏み、ふと足を止めた。トラムの中で彼を見かけたのが2週間前。
 大学前の停留所から乗り込み、入り口ちかくに立ってまっすぐに窓の向こうを見つめていた。
 アジア人の俺からすれば、白人はみんな同じに見える。よほど太っていたり、髪型や服装に特徴があれば別だが、それ以外はほぼ同じ人物に見える。
 けれど彼は違った。
 はっきりとした意思を持った強い視線。車両の外を流れる風景を、睨むように見つめていた。
 その先に何があるのか、何かあるのか知りたくて、俺は彼の視線の先を追ったけれど、いつもと変わらない街並みが流れるだけだった。
 気づけば俺は自分がトラムに乗っている目的も忘れて彼に見惚れていた。停留所で止まる度に人がおり、また乗って、街の中心から離れるにつれて乗客は少なくなる。
 終点近くで彼はトラムを降り、俺はつい追いかけるように彼の後に続いた。
 彼は少し来た道を戻るように足を進め、迷うことない足取りで一件のカフェに入って行った。
 俺は離れた場所からそれを見守り、少し悩んだ末に彼を追いかけて同じ店に入った。

 彼はコーヒーが入ったマグカップを片手に入り口近くの席へ座るところだった。ドアを開けた俺に店員の女の子が笑顔であいさつをくれる。返事を返して、マグカップを手に取りポットのコーヒーをなみなみと注いだ。
 会計をしていると、レジ係の青年が興味津々で話しかけてくる。
「どこから来たの? 旅行?」
「そう、日本から」
「日本人か。日本人はよく来るよ。僕も行ってみたいと思ってる。ミステリアスで面白そうだ」
「でもコーヒーはこっちの方が美味しいよ」
「ほんとうに?」
 気軽な雑談をしてから席につこうと振り返ると、さっきの彼がこちらを見ていた。
 目が合うと、ふっと彼がほほ笑む。
 先ほどトラムの中から強い視線で窓の外を見ていた時とは、まるで別人のような柔らかいほほえみだった。
「よかったら、こっちに座りなよ」
 彼はそう言って、隣のテーブルを目で示した。
 ラッキーだ。追いかけてきた甲斐があった。
 俺は「ありがとう」と愛想よく笑って、彼の進めるままに隣のテーブルの椅子を引く。小さな丸いテーブルにそれぞれコーヒーのカップを乗せて、俺たちは隣り合わせに座った。
「声が聞こえたんだ。日本人なんだって? いつまでここにいるの?」
「気ままな旅なんだ。決めてないけど、この街は居心地がいいから、ゆっくりしようかなと思ってる」
 コーヒーも美味しいしね、とカップを持ち上げて熱い中身をすする。彼は金色の眉毛を上げた。
「へえ。でも仕事は? きみ、学生なのか?」
「学生じゃないよ。仕事はパソコンがあればどこででもできるから。気に入った場所があれば長く滞在することもある」
「いいね、それ。自由だ」
「きみは? 学生……じゃないよな」
 外国人の年齢は分からない。俺よりも年上にも若くも見えた。
「28だよ。テキスタイルにかかわる仕事をしてるんだ。このすぐ近くに僕の事務所がある。僕はミカ。よろしく」
「本当に? 同い年だ。俺はヨウジ。ヨウって呼んで」
 にこやかに手を差し出す彼と握手を交わし、そのまましばらく並んでコーヒーを飲みながら雑談をした。
 淡い金の髪と薄いブルーの瞳はこのエリアの人々の特徴で、けれど俺にはミカが他の誰とも違って見えた。細身の身体を質の良いシャツとジャケットで包み、柔らかい微笑を向けてくる彼は、それだけだったら「感じの良い人」だけで終わっていただろう。
 強い眼差しを最初に見ていなければ。
「俺、まだしばらくこの街にいる予定なんだけど。また会えるかな」
 お互いにコーヒーを飲み干すころにそう尋ねると、ミカは「もちろん」と答え、スマートフォンを取り出した。
「フェイスブックをやってる? アカウントを教えてよ。メッセージを送るから。僕はほぼ毎日、このカフェで午後の休憩をするんだ。ここのコーヒーがこのあたりじゃ一番おいしい。ヨウも気に入ったら、ここへ来たらいい」
 こうして俺はミカの連絡先と、また会う約束を取り付けた。
 ミカのフェイスブックのページをのぞくと、そこはこの国の言葉で溢れていて俺には理解不能だったが、ときおり投稿されている様々な写真が、トラムの中のミカの視線を思い出させた。

 あのカフェに入るとミカはまだ来ていなかった。いつものようにコーヒーを注ぎ、少し迷ってからシナモンロールも追加する。今日は昼に続けざまにクライアントから急ぎの仕事が入って、昼飯を食べ損ねていた。
 何を食べてもビッグサイズで甘さが強すぎるこの国のお菓子はどうも苦手だけれど、コーヒーはやはり美味しいと思う。窓際の席に座ってシナモンロールにかじりつき、半分ほど食べたところでミカがやってきた。
「珍しいね。ヨウがお菓子を食べてる」
 食べている俺につられたのか、ミカも今日はジャムが挟まれたパイを追加した。
 男が二人、並んでスイーツを食べている様子がなんとなく奇妙で、けれどおかしくて、口元が自然と緩んだ。
「ランチのかわりだよ」
「食べてないのか? もうすぐディナーの時間だけど」
 ミカが驚いた顔をして腕時計を見せた。
 けれど窓の外にはさんさんと日が差していて、俺は肩をすくめた。
「時間の感覚が狂わないか? 夜にならないから」
「ああ、この季節はね。だからこそ、時計が大事だよ」
 緯度が高いから、深夜には一応暗くはなるが、夜の22時でもまだ明るい。
「俺の国じゃ、夕飯は暗くなってからって決まってるんだ」
「そんなことを言っていたら夏は餓死する。じゃあそれを食べ終えたら一緒に食事に行こう。たまにはいいだろ」
 思いがけないミカの誘いに俺はすぐに頷いた。
「俺はもちろんいいけど、仕事は? 休憩じゃないのか」
「今日はもう終わりだよ。18時を回っている。少し離れるけど、美味しいイタリアンのレストランがあるよ。たぶんこの街で一番おいしい」
「いいね」
 出逢ってから2週間。
 このカフェで一緒にコーヒーを飲んで話をするだけだったけれど、思いがけない展開で俺たちは一歩先へ進んだ。

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