crossing 2

 カフェを出て通りを中心地区の方へ歩く。トラムに乗るかと思っていたけれど、ミカは歩くつもりのようだった。
 並んで人の少ない通りを歩きながら、俺はさりげなくミカに話しかけた。
「君はいつもにこやかで穏やかだけど、怒ることもあるのか?」
「そりゃああるよ。僕だって人間だ」
「じゃあ、それは例えばどんな時?」
 石畳を歩く二人分の足音が響く。
「そうだな………。実はあまり怒ることがないかもしれない」
 少し考えた後で、ミカがおどけたように笑った。
「ヨウはクールだ。そんなヨウが怒ったら怖そうだけど、ヨウが怒るのはどんな時?」
「俺は普通。君たちからみたら、東洋人はみんな表情が少なく見えるんだろ?」
「そうでもないよ。でもやっぱりヨウはクールだと思う。教えてよ。ヨウが怒るのはどんな時か」
 俺は日本人にしては背が高いけれど、やはり欧米人にはかなわない。
 少し上の高さから俺を見下ろすミカをちらりと見上げた。
「騙された時」
「それはそうだ。でも日本人はとても礼儀正しいから、人を騙すなんてしなさそうだけど」
「人による。でも、誰でも嘘はつく。ちいさい嘘も、とんでもない嘘も」
 何気なくそう答えた瞬間、ミカの目が大きく見開かれた。
「………そうだね」
 ミカの歩みが自然と遅くなる。俺それに合わせて俺も歩幅を小さくした。
 やがてミカは、ぴたりと歩みを止めてしまった。
「どうした、ミカ」
 ミカはまっすぐに前を見つめていた。
 先ほどまでとは打って変わって、強い視線を誰もいない通りの先のほうへと向けていた。
 あの時の、目だ。
 ミカのその眼差しを見つけた瞬間、俺の心臓はドキンと大きな音を立てた。
「……僕も、嘘は嫌いだ」
 ぽつりとミカがつぶやく。海から強い風が吹いてきて、ミカの金の髪を乱した。
「嘘をつかれるのも、自分がつくのも。…………」
 最後に何かつぶやいた言葉はとても小さくて聞き取れなかった。もしかしたら英語ではなかったのかもしれない。
「ミカ」
 通りの先を見据える強い視線。
 なのにその時のミカはまるで崩れ落ちそうに見えて、俺は思わず手を伸ばし、ミカの腕を掴んでいた。
「ミカ!」
 はっとしたようにミカは俺を見て、それから俺に掴まれた自分の腕を見た。
「………あ、ごめん」
「いい。それより大丈夫か?」
 ゆっくりとミカの腕を掴んでいる力抜くと、ミカは俺へと視線を戻した。
「……うん」
 ひどく頼りなげなミカがそこにいた。

 結局レストランに行くのはやめて、俺は自分が滞在しているアパートメントホテルにミカを誘った。ビールの缶を冷蔵庫から取り出してミカに渡し、一緒にリビングのソファの座った。
「好きな人がいた。僕の恋人だったんだ。………でも、僕だけじゃなかった」
 ビールに口をつけて、ミカはポツリポツリと語った。
「他にも恋人がいて、俺はそのうちのひとりだった。………情けないよな。でも、信じたくないし、ショックだった」
 いつもカフェで見せていた明るい笑顔と人懐こさとは全然違う顔を持ったミカがそこにいた。大きなソファで隣り合って座りながら、ミカのきれいな横顔がゆがむのを見ていた。
「……その人とは、別れたのか?」
「………ああ、結婚する、っていうから」
「もしかして、君の恋人って男?」
 ずばりと問いかけると、ミカは一瞬動揺して瞳を揺らし、けれどすぐに溜息をついてうなだれた。
「……そうだよ。どうして解った?」
「俺もそうだから。なんとなく同じにおいがする」
「……やっぱり」
 ミカがもう一度深くため息をつく。
「僕も、ヨウはそうじゃなかって思ってた」
 傷ついているミカには悪いけど、俺は自分の欲望には正直だしせっかくのチャンスを逃す気もない。
 手を伸ばしてミカ頬に手を当て、こちらへ顔を向けさせると唇を重ねた。
「……ン」
 ミカは逃げもせず、けれど俺のキスをそれ以上受け入れることもしなかった。
「……ミカ、俺が嫌いか? それともまだそういう気になれない?」
「………違う。ヨウは嫌いじゃないし、初めて会った時から好意を持ってた」
「じゃあ」
「でも、ヨウはじきに帰ってしまうだろう。一人で残されるのはいやだ」
 金色の眉を寄せてミカは首を左右に振った。
「俺、どこでも仕事ができるって言っただろ。永住権はないからずっとはいられないけど、いったん出国して他に行って、また来るよ。それくらいここが気に入ってるし……ミカもいる」
 ミカの手を取り、指のつけ根に口づけた。
「俺は自分が騙されるのが嫌いだから、嘘はつかない。自分が言ったことにはちゃんと責任を持つ」
 ミカは少し涙で潤んだ瞳で俺を見ていた。
「ヨウは日本人なのに、そういうところがサマになっててずるい」
 本当だ。金髪で碧眼で背が高いミカこそ、こういうセリフや役回りが似合いそうなのに。けれどミカはそういうことをするタイプではないだろうし、少しすねているような素振りが可愛くてつい笑ってしまった。
「俺は侍だからな。 男らしい振る舞いが似合うんだよ」
「………サムライを恋人にすることになるなんて、思わなかった」
 ミカがささやくように言葉を漏らす。
 俺は握ったままのミカの手をぐっと引いて、傾いたミカの身体を強く抱きしめた。
「この国に長期滞在することになるのは確実だな」
 ミカの手が俺の背中に回り、ミカが付けている爽やかでどこか甘い香水の匂いが俺の鼻孔をくすぐった。

Fin

 

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