つけてよ。 3

 ぽかんとした顔で目を丸くして僕を見下ろすりっちゃんの両腕に僕は思わず縋りついていた。
「ねえ、りっちゃん、僕を雌豚みたいだって思う? 今は犬かもしれないけど、犬の僕は嫌い?」
「………は?」
「僕、ヘンな声出してりっちゃんを呆れさせてない?」
「………ちょ、ちょっと、悠貴?」
「でも豚はやっぱり嫌だよね。けど最終的に豚になっちゃうかもしれない」
「おい、悠貴。落ち着け」
「――でも、僕、やっぱり豚になるのは嫌だ。豚め、って言われて嫌われるのも嫌だ」
 AVを見ながらずっと頭の中にあったことが一気に口から出てくる。
 あのAVの中で、お姉さんを「いやらしい雌豚め、俺のピーが欲しくてたまらないんだろう」と蔑むように言っていた男の人の姿が浮かんだ。
 僕もりっちゃんのピーが欲しくてたまらないけど、あんな風に蔑まれたら悲しい。
 絶対嫌だ。
 思い出してしまったら、――もし、あの男の人がりっちゃんで、僕をあんな風に見たり扱ったりしたら、って想像したら、とたんに目の奥が熱くなって、視界が一気に潤んできた。
「……うっ」
 そのまま溢れ出したものがポロポロと零れて頬を伝う。
「ううっ………」
 説明する前に泣き出した僕を、りっちゃんは少しの間呆然と見ていて、それから慌てたように抱きしめてくれた。

 りっちゃんの腕の中であやされぎゅっと抱きしめられて、僕はしばらくりっちゃんの胸で泣き続けた。
「悠貴、大丈夫だよ。悠貴」
 りっちゃんが優しい声で囁きながら僕の頭と背中を撫でてくれるうちに、僕はようやく少し落ち着いて、しゃくりあげながらりっちゃんと並んでベッドの上に座り、ポツリポツリと今日の出来事をりっちゃんに伝えた。
 最初はうんうん、と聞いてくれていたりっちゃんだったけれど、クラスメートの家でAV鑑賞会をしたあたりから声のトーンが低くなり、僕の肩を抱く腕に力が入った。怒ったのかとりっちゃんの顔を伺うといつもの笑顔を向けてくれたけれど、僕の話を聞くうちに今まで見たこともないような微妙な表情になっていった。
「…………どうして、そんなセレクトをしたんだ」
「どれを見るか決まらなかったらから、僕が後ろを向いて、じゃあ真ん中にあるやつって」
「………最初がいきなりそんな濃いヤツだなんて」
「濃い?」
「え、――あ、いや、………それで、いったいなんで、自分が雌豚って呼ばれるなんて思ったの?」
 りっちゃんが僕の顔を覗き込む。
 りっちゃんは今、雌豚、と言ったけれどりっちゃんの声は深くて優しくて穏やかで、僕はりっちゃんの声が言う「雌豚」を聞いて、全然嫌じゃない、と感じてしまいびっくりした。
 ――りっちゃんが言うと、「雌豚」も「悠貴」も同じに聞こえる。
 それが不快なのかそうじゃないのか分からなくて、僕はついじっとリっちゃんを見てしまった。
「悠貴?」
 返事もせず見つめる僕に、りっちゃんが心配そうな顔をした。慌てて僕は言葉を紡ぐ。
「ええと、それは………僕、ずっと自分がりっちゃんの犬みたいだなって思ってて。こないだ、おばさんも僕のこと犬みたいねって言ってたし。それはそれで全然嫌じゃなくて、むしろりっちゃんの犬になりたいんだけど」
「えぇっ?!」
「女の人が、首輪付けられて、DVDの中で最初『雌犬』って呼ばれてて……その、男の人に、いろいろされて、それが……」
「―――自分と重なった?」
 りっちゃんが静かに問う。
 僕はこくんとうなずき、りっちゃんと目を合わせていられなくなって顔を伏せた。
「女の人の声が、すごく……ヘンな感じで、僕も気づかなかったけど、実はあんな声だしてて、りっちゃんが実は嫌だなって思ってたらどうしようとか」
 うつむいたままボソボソというと、りっちゃんは「それから?」と僕の髪を撫でながら先を促した。
「そのうち女の人が雌豚って呼ばれて……犬は最後は豚って呼ばれるようになって、……優しくしてもらえなくなるのかな、とか」
 そこまで話して、また思い出してしまって涙がにじむ。
 語尾が震えてしまい、僕はこれ以上涙がこぼれないように唇を噛みしめた。
「悠貴、あのね。………こっちを向いて」
 僕の髪を撫でていたりっちゃんの手が僕の頬を包むように触れた。僕はりっちゃんの手がうながすままに顔を上げてりっちゃんと視線を合わせる。りっちゃんは親指で僕の唇にそっと触れた。
「きつく噛んだら怪我をするよ」
 そのまま親指で優しく僕の歯に触れるから、僕の身体からは魔法にかかったかのように唇を噛んでいた力が抜けた。
「悠貴、悠貴は犬じゃないでしょう。悠貴はヒトだよ。分かってる?」
 僕の頬を撫でてりっちゃんが優しい声で確かめる。
 けれど僕は首を横に振った。
「生物学的にはヒトだけど、僕の中身は完全にりっちゃんの犬だよ」
「……悠貴。悠貴は俺に懐いているけど、それは犬ってことじゃないんだよ」
「犬と一緒だ。僕はりっちゃんに飼われたいって思ってる」
「飼われる、って意味解って言ってる?」
「理解してるよ。りっちゃんに忠誠を誓ってりっちゃんの言うことならなんでも全部聞く。絶対逆らわないし、待てもお手も伏せもする。りっちゃんの行きたいところについていくけど、僕が付いていったら困るところにはいかない。いい子にして家で待ってる」
 きっぱり言い切る僕に、りっちゃんは困ったように微笑んだ。
「………じゃあ、もしも俺が、悠貴が今日見たAVみたいなことを、悠貴にしたい、って言ったら?」
「―――りっちゃん」
「悠貴に首輪つけて、いやらしいことをして、悠貴を雌豚って罵ったら?」
 りっちゃんの声は優しくて、りっちゃんは僕が今日見てしまったAVの内容を簡単にまとめて言ったけれど、全然いやらしくもなければ不快感もなく、それは全部りっちゃんの色になっていた。
「………いいよ。全部してもいいよ。りっちゃんになら、嫌じゃない」
 どうしたことだろう。
 AVを見た時はあんなに嫌だと思って、りっちゃんに雌豚って蔑まれたら悲しくて死んでしまうとまで思って、ついさっき泣いたばかりなのに、僕を見るりっちゃんの顔を見ていたら、それでも構わないと思えてしまった。
「りっちゃんなら僕に何をしてもいいよ……」
 今泣いたカラスが、と言われそうだけれど、僕はまっすぐにりっちゃんを見てそう言っていた。
「悠貴。さっきは嫌だって言っただろ?」
「うん。……雌豚め、って言われるのは本当はちょっと嫌かもしれないけど、でも………りっちゃんになら」
 そこまで言いかけて、はっと気づいた。
 そうじゃない。
 そうじゃなかった。
「でも、僕がそんな風になったら、りっちゃん、僕を……」
 自分が何について嫌だと思い、悲しかったのかを思い出し、それをりっちゃんに確かめようとしたらまた涙声になってしまった。
「僕を、嫌いになる?」
 言葉の最後で涙が溢れた。
 そうか。
 僕はりっちゃんに何をされてもいい。
 ただ。嫌われたり、冷たくされたくないんだ。
「悠貴」
 りっちゃんがこぼれた涙を指先ですくい、顔を寄せると僕の目元にキスをしてくれた。
「俺が悠貴のこと、嫌ってるように見える?」
 優しい目と声でそう問いかけるりっちゃんは、当然ながら全然僕を嫌いなようには見えなくて、僕は首を左右に振った。
「見えないし、思えない」
「そうだろ」
 今度はおでこにキスをして、近い距離で視線を合わせてくれた。
「悠貴が今日見たAVは、………ちょっと特殊なんだよ。相手のことを大切にするということよりも、もっと別のものを表現してるんだ。出演している人もそれを分かってる。………それに、彼らはカメラの前で服を脱いでセックスを見せる、ちょっと特殊なスキルを持つ俳優で、俺たちが普段見ている映画に出ている俳優とは全然違う。だから……声もね、わざと大げさにやってるんだよ」
「……そうなの?」
 低く優しく語り掛けてくるりっちゃんの話を聞いていると、りっちゃんは「ちょっと実験してみようか」と囁いて、僕の首筋に指先ですっと触れた。
 首筋は、だめだ。
 特にそんな風に触られたら……
 僕の背中に一気に快感の鳥肌が立って、たまらず目を閉じた。
「悠貴」
 りっちゃんが優しく囁いて僕が留めそこねたシャツのボタンを外していく。乾いた手のひらが胸元を撫ぜ、指先が乳首をかすめた瞬間、甘い声が小さく漏れてしまった。
「……ゃ、……んっ」
 りっちゃんは僕の首筋に顔を寄せ、鎖骨のくぼみに舌を這わせる。熱く濡れた感覚と、首を撫でるりっちゃんの髪に、僕はりっちゃんの背中に縋りつくようにしてあっという間に乱れた呼吸を隠そうと唇を噛んだ。
「……っ、ふ、」
 つい漏れてしまう小さな声はたっぷりと息を含んでいる。
 りっちゃんは僕の首筋から顔を上げ、いたずらっぽい目で僕を見上げた。
「悠貴が今日見た女優さんは、今みたいな切なくてドキドキするような声は上げてなかったと思うよ」
「………」
 答えたいのに、急に与えられた快感にまだ僕の身体は高ぶっていて、思考が追い付かない。
「声の大きさじゃなくてね。悠貴がいっぱい感じて、気持ちよくなったときに自然に出てくる息とか声は、とてもセクシーだ。煩いって思ったり、嫌いになるわけがない。――もっと聞きたいって思ってるよ。本当は」
「………り、ちゃん……」
「それに」
 りっちゃんが僕の手を掴んで、そっと自分の股間に導いた。ネイビーのコットンパンツの上から触れるりっちゃんの性器は熱くなって硬くなっている。
「嫌いだと思ってたら、こんな風にならない」
「りっちゃん…」
 手の下で脈打つ、りっちゃんのモノ。
 僕は布越しに感じるそれに触れたままりっちゃんを見た。
「………僕が、りっちゃんのこれを欲しい、って思ったら、りっちゃんは僕を『いやらしい雌豚』って思う?」
「俺は悠貴をいつでも『可愛い悠貴』って思ってるし、俺の手で乱れる悠貴は『いやらしくて可愛い悠貴』って思ってる」
 全部「可愛い」がつくのか。
 りっちゃんの優しい目と声。
 僕は、やっぱり
「りっちゃんが好きだよ」
 不安や悲しい気持ちが一気に晴れていく。
 両腕を伸ばしてりっちゃんに抱きついた。
「悠貴」
 りっちゃんが抱きしめ返してくれる。
 りっちゃんとぴったりくっつきながら、さっきの声が居間にいるおばさんに聞こえていないかちょっと不安になったけれど、きっとおばさんは居間で音楽をかけているから大丈夫だと思いなおした。
「あ、でもね、りっちゃん」
 僕はりっちゃんに抱きついたまま、これだけは言っておこうと囁いた。
「首輪は、いいなぁって思った。本物の犬みたいで」
「悠貴!」
「りっちゃん、僕に首輪つけてくれない?」
「悠貴、悠貴はヒトだよ?」
 なぜだか焦ったように言うりっちゃんを見上げる。
「分かってるよ。りっちゃんが僕にヒトでいて欲しいならヒトでいる。………でも、首輪欲しいな。首輪、つけてよ」
 りっちゃんに甘えた声でおねだりすると、りっちゃんにしては珍しく押しつぶされたようなうめき声を上げた。
 りっちゃんをこんなに困らせているのは僕で、そしてりっちゃんが抱きしめてくれているのも僕だと思うと、僕は嬉しくて嬉しくて、りっちゃんに抱きつきながらまた笑ってしまった。

Fin