長月 1

 気づけばもう9月で、けれど残暑は厳しい。
 外出先から戻ると背中にはじっとりと汗をかいていて、まだ冷たい飲み物が欲しい気温だ。ビルのエントランスにある自動販売機で買った水を片手にオフィスに戻ると、多喜さんと目が合った。俺を見たわけではなく、ドアが開いたからそちらを見ただけだろう。けれど反射的に呼吸が止まり、全身が緊張する。
 多喜さんは遠目に見ても全身がぱりっとしていて、多喜さんからは残暑の厳しさなどまるで感じなかった。
「久野さん?」
 思わずドアの前で立ちすくんでしまった俺の後ろから辻がいぶかしげな声を掛ける。俺は慌てて歩き出しながら、まだこちらを見ている多喜さんに会釈をした。
「久野、ちょっと」
 席へ戻り鞄を置くと、多喜さんが俺を呼ぶ。
 花火の夜に、辻から聞かれた「係長と何かあったんですか」というたった一度の問いかけ以来、辻は俺に多喜さんのことを何も聞かない。俺も多喜さんのことは話題にしない。けれど辻が「何もない」と納得しているわけではないことは、俺を見る辻の視線の強さから感じる。
「はい」
 返事をして多喜さんの席まで行くと、多喜さんはデスクの上で昨年度の接待記録を開いていた。
「毎年、これくらいの時期にS社と接待をしていたの、覚えてるか。今年は接待の予定はどうなってる」
「……あ」
 すっかり忘れていたことに、多喜さんから言われて気づいた。
 そうだ。9月に取引先の一つであるS社との接待があった。去年まではS社のメインの担当だった多喜さんと、多喜さんの上司で出席していたから俺は参加しなかったが、多喜さんに役職がついた今、s社のメイン担当は俺だった。接待も俺が組まないといけない。
「――すみません、まだ。すぐに先方の予定を確認します」
「毎年ここの接待は、向こう二人、こちら二人だから。今年も向こうが二人なら、こちらからは俺と久野で行くことになると思うよ」
 去年までS社を担当していた多喜さんの言葉に、俺は小さくうなずいた。

 辻の気持ちを受け入れ、身体を重ねて、そうしたら俺と多喜さんの間にある微妙なわだかまりが解消するというワケは無い。俺と辻は仕事帰りや休日を一緒に過ごすが、会社ではいつも通りで、そして俺と多喜さんの微妙な距離感も変わらないままだった。
 辻といるから多喜さんを忘れるわけでもなければ、多喜さんへの想いが消えるわけでもない。
 そして同じ職場で仕事をしている以上、どうしても関わり合いにならなくてはいけないのも当然のことだった。
 ………一緒に接待か。
 そういう事も起こり得るだろうとは思っていたけれど。まだ気持ちの準備が全然出来ない。俺はやっぱり多喜さんに対して以前のように無邪気に慕ってふるまえないし、一緒にいたら必要以上に緊張してしまう。
 取引先もいるんだし、そもそもこれは接待で仕事なんだ。
 尻込みしている自分を叱咤するように心の中で言い聞かせ、S社の担当者へ電話を掛けた。

「久野さん、ここ、弱いですね」
 辻の指が俺の胸の粒を摘まんで軽くこすり上げる。俺は辻に後ろから抱きしめられて、身体をいいように弄られていた。
「……っ、んん……っ」
 甘い声が漏れてしまうのが恥ずかしくて、歯を噛みしめて目を閉じる。仕事を終えてから辻の家へ行き、一緒に夕食を食べたあと、毎回のように辻は俺の身体に触れたがった。最初に抱かれたあの夜の後、あまりに激しいセックスに俺は起き上がることができず、次の日が日曜だったのをいいことに翌日も辻の布団の上で過ごした。
 若いから仕方がないのかもしれないが、そもそもでかい身体でしかもスポーツで鍛えてきた辻の精力や持久力はそれまで俺が知っている数少ないケースの中でも群を抜いていて、辻が求めるままに応じていたら俺の身が持たないと、俺は辻に「セックスは金曜か土曜の夜だけ」というルールを提示した。
 最初は悲しそうな顔をしたが、あの翌朝まったく動けなかった俺を思い出したかのかしぶしぶ了承し、その代わり挿れないから好きに触らせてくれという譲歩案を出された。
 挿れないというところは助かるが、辻の家の広い和室で、煌々と照らされる蛍光灯の下で身体中を辻に愛撫されるのは恥ずかしくていたたまれない。辻は記憶力が良くて仕事が出来る。つまりそれは仕事以外にも、適用されてる。辻の賢い脳みそは俺の反応の良いところを余すところなく記憶し、最近は辻に触れられたとたんに、俺は腰から力が抜けきってしまうようになっていた。
「ほら、もうこんなにコリコリになって」
「……っ、あ、………ぅ」
 辻がこんなにいじるまではそれほど乳首が感じる場所だなんて思っていなかった。けれど辻の指先が繊細に触れて撫でまわし、舌で愛撫されているうちにそこは敏感な性感帯に成長した。いまでは服の上から触れられただけで俺の息は乱れてしまう。
「こうされると、もっと良いんですよね」
 とろけるような声で辻が耳元に囁き、両手の指で挟んだ乳首をきゅっと捻る。つんとした甘さが腰に抜けて、俺は後頭部を辻の胸に押し付けるようにして悶えた。
「…はっ、……ん、ん」
 ネクタイをほどかれ、ワイシャツの前を全開にされて、俺は辻の腕の中で散々乱される。辻が触れるたびに乳首は赤味を増し、もっと触ってほしいと強請るように膨らんで存在を主張した。
「久野さんのここ、最初よりも大きくなりましたよね」
「………なって、ない……」
「なってますよ。最初の時は、もっと摘まみにくかった。摘まんでも、摘まんだ感じがあまりしなかったけど」
 辻は指先に俺の乳首を挟み、こすり合わせるようにして刺激した。
「やぁ……っ、あっ、それ、それやだ、辻……っ」
 辻の指にはほとんど力は入っていない。緩やかな刺激なのに、すっかり充血して敏感になったそこには、それでも強すぎた。
「嫌って言うわりには、久野さん嬉しそうだし」
 辻が意地悪く言って乳首の先端を押しつぶす。先ほどとは違う感覚に俺の顎は上がり、鼻にかかった細い声が漏れた。
「んんーっ………ん、んっ」
「こっちも。そろそろ、我慢の限界なんじゃないですか?」
 辻の手がスラックスの上から、俺のペニスに触れる。すっかり育ったそれを愛しげに撫でて、ベルトを外してジッパーを下ろした。
「あー、また。下着に染み出来ちゃってますよ」
 辻が実況中継をするように教えるのに、俺はいやだと首を横に振る。
「お前が……っ、いやらしく触るから……っ」
 逃げたいのに、逃げたくない。辻にもっと触れられたい。気持ちよくなりたい。
 俺は辻がくれる快楽の甘さをこのひと月弱ですっかり覚えてしまっていた。
「俺のせいですか? 俺は久野さんがいい反応をするから触るだけなのに」
 言葉で嬲られ、俺は余計に興奮していく。
 辻の手が下着を引き下ろし、俺のペニスを包み込んだ。
「あぁ……っ、辻、もぅ、早く……っ」
 叫ぶように言って辻の腕の中で悶えると、辻は俺の耳の下を強く吸い上げた。
「や……っ」
 カチカチになった俺のペニスを、辻がゆっくりと上下に擦り始める。
「あ、あ、っ……辻、辻っ!」
 目の前の快楽に思考がいっぱいになって、俺は辻の腕を掴んで身をよじる。
「久野さん、………好きです」
 辻はとびきり優しい声でそう囁き、快感の高みへと導いた。

 辻にイカされた後、俺は辻のを手か口で愛撫し、そしてお互いにスッキリして畳の上でゴロゴロしながら雑談をしたり、手や身体に触れて何も話さなかったりする。
 そのままいつのまにか寝入ってしまい辻の家に泊まってしまうことも多くて、早朝に自宅へ帰って着替えだけして出勤する日が増えてきた。
 状況だけ見れば順風満帆な恋人同士なのに、俺の頭の中はまだだいぶ多喜さんで占められている。
 辻は、気づいていたりするのだろうか。
 俺の気持ちが辻に向いていない、ということを。

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