exp 5

 屋上で一緒にお弁当を広げると、先輩は興味深々に僕のお弁当箱を覗き込んだ。
「すごく美味しそうだな、それ」
「そうですか?」
「うん。彩りもすごくきれい。宮崎のお母さん、料理上手っぽい」
「どうだろう……?」
 そういう先輩のお弁当はとにかくボリューム満点で、僕のお弁当の2倍くらいはある。
「それ、食べてもいい? から揚げ」
「どうぞ」
 正直言うと寝不足で食欲もあまりないから、全部あげてもいいくらいなんだけど。
 お弁当箱を差し出すと、先輩は「ありがとう~」と歌うように言って箸を伸ばし、から揚げを一つ取って口に入れた。
「ウマい!」
「そうですか」
「お礼に、俺のも、どれか食べてみない?」
 先輩はにっこりと笑顔で自分のお弁当を差し出してきた。
「あ……じゃあ」
 お弁当の片隅にちょんと乗っていたニンジンとかぼちゃの煮物をいただいた。
「いただきます」
 そういって口に入れたそれは、お弁当によく合う、しっかりした味付けだった。
「………」
「どう? うちの母ちゃんの料理は」
 自信満々な先輩の声に、ニンジンを噛みながら先輩を見る。
 これが先輩の家の味なんだ。
 深く味の染みたニンジンは鰹節の出汁を使っているのだろう。すこし特徴のある香りが鼻孔から抜けていく。
 柔らかく煮込まれたニンジンを飲み込み、僕はうなずいた。
「おいしいです」
「そうかそうか」
 先輩は満足そうに笑い、豪快にご飯を口に運んだ。
 先輩が食べる姿をぼんやり見ながら思った。
 僕の家の料理の味でもないし、りっちゃんのおばさんが作る料理の味でもない。
 これが、先輩の家の味。
 そして、これが先輩が食事をする姿。
 しばらくの間、僕はぼんやりとして、箸を手に持ったまま食事をする先輩を眺めていた。それに気づいた先輩がなぜだか赤くなり、僕に「食わないの?」と問いかけた。僕はまだぼんやりしたまま、慣れ親しんだお母さんの味がするお弁当を口に運んだ。

 その日の放課後、一緒に帰ろうと僕を誘いに来た先輩と、昨日のように駅に向かって街路樹の下を歩いていた。
 先輩はよく話す人で、僕は先輩の隣で相槌を打ちながら時々ちらりと隣の先輩を見上げた。
 一緒に食事をして、一緒に下校するくらいなら鈴木君たちともほぼ毎日している。そして食事をするところを見るだけなら、僕はりっちゃんの家の食卓に毎日のようにおじゃましていた。
「付き合う」「付き合っていない」というのは、それを言葉にして確認すること以外に何かあるのだろうか。
 ……ああ、そうか。
 普通はキスしたり抱きしめたりっていう、スキンシップもはいるんだ。
 でもそれ、僕は日常的にりっちゃんとしてるから……そうしたら、僕とりっちゃんはもうすでに付き合ってるってことになるんじゃないかな。
 先輩と並んで歩きながら、僕は途中から完璧に上の空で、りっちゃんのことを考えていたから仕方がないのかもしれない。ふいに暖かいものが手に触れて、はっとすると、僕たちはいつのまにか駅近くの広い公園の片隅に居て、先輩に手を取られていた。
 あれ、いつのまにここに、なんて考えるまもなく、先輩が僕の手を軽く握ってそっと引き寄せる。
 樹木の影になってちょうど人からは見えないあたりで、僕は先輩に抱き寄せられていた。
 僕の顔の正面に先輩の肩があり、体温が感じられるくらいに身体の距離が近い。背の高さがりっちゃんと同じくらいだから、りっちゃんに抱きついたときと似ているけれど、でも、全然違う。
 先輩からは、制汗スプレーの匂いがした。
 僕はなんとなく今の感じを受け入れることができなくて、一歩後ろへ下がり距離を取った。
「あ……ごめん、嫌だった?」
 慌てて手を放した先輩に、僕は肯定も否定もできなくて、視線を足元に落とす。
「急すぎたかな。ごめん。宮崎に触れたくて……つい」
「……いえ」
 先輩に悪気はないし、「付き合ってる」んならこれくらい普通なんだろう。
 ……でも。
「あの、……帰ります。さようなら」
 なんだかもう、先輩の顔を見ることができなくて、僕は地面を見たままそういうと、くるりと回れ右をして駅へむかってまっすぐに走った。 
 自分の中の、説明のつかないモヤモヤしたものが分からなくて、けれど頭の中にあったのは。
 これがりっちゃんだったら、僕は喜んで飛びついて抱きついていたのに、ということ。
 体育の時間だって真面目に走ったりしないのに、僕はすごく久しぶりに本気で走っていた。
 駅の階段の前で息が切れて立ち止まった時には、膝がガクガクしていて、息が完全に上がっていた。じわりと額ににじむ汗がこめかみを滑り、僕は汗の雫を手の甲で拭いながら階段の先を見上げ、エスカレーターでなく階段に足を踏み出した。 

 先輩に告白されて、約24時間後。僕は先輩にライン電話をかけ、「別れたい」ということを伝えた。
 本当は電話じゃなくてちゃんと会って言ったほうが良いのだろうけれど、もう一刻もこのままにしておくのは良くないと思えた。
 先輩は驚き、もう一度僕に公園でのことを謝ったけれど、僕はそうではないのだと伝えた。
 そして、別に好きな人がいることを伝えると、先輩は「分かった」と言って電話を切った。
 こうして僕の人生初の「おつきあい」はほぼ24時間で幕を閉じた。

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