インターバル

「一身上の都合」
退職届の、退職理由の欄に書くのは、その一文だと相場が決まっている。
都合、の中には随分沢山の都合があることだろう。

……たとえば。

隣の席の、男が。
残業で帰りが遅くなると、必ず誰かに電話をかけるようになっていた事に。

そんな事に、やたら傷ついてしまう自分に、気付いたりとか。

ふと目に留まったのは、蓋が開けっ放しのダンボールからのぞく、いくつかのカラフルだったりシックだったりする包装紙。

半年前の、遺物。

前の職場を辞める時に、スタッフの何人かがそれぞれ個別にくれた餞別だった。

退職と再就職と、戦場の如くの新しい職場でのあれこれで、俺の日々はまるでジェットコースターのようで。せっかくもらったその餞別の品すらタンボールに突っ込んだまま、今日という今日まであけることが無かった。

手が伸びる。
一番上から包みをそっと解いた。

実用的なネクタイと靴下のセット。
ハンカチ。
ウケ狙いのつもりか子供用の玩具の詰め合わせまである。

懐かしい面々を思い出しながら、今まで贈り物をそのままにしてきた事を悔いる。

最後の包みを手に取った瞬間、懐かしく、そしてもっともよく見慣れた顔が脳裏をよぎった。

隣り合ったデスク。俺の失敗をカバーしてくれて、得意先に一緒に謝りにも行ってくれた。
金曜の夜には二人して飲みに行って、でも休日に遊んだりすることは無かったけれど。
それで充分で。

尊敬していて、大好きだった。
大好き、が、いつのまには膨らみすぎてしまうまでは。

大切な、先輩だった。

平べったい箱を包む紺の包装紙は、これをくれた彼のイメージそのままで、それを開く事をほんの少し躊躇する。
しかし。金のシールに爪を立ててそれが音を立てて破れたとたん、そんな躊躇は消し飛んだ。
包みを解き箱を開ける。
中から薄いブルーのストライプが控えめに入ったシャツが現れた。

「営業なんだから、もっと身なりに気を配れ」

まだ学生気分の抜けなかった新人の頃、散々彼に言われたせりふを思い出す。

朝オフィスで顔をあわせたとたんにトイレに連れ込まれ、まだ寝癖の残っていた俺の頭を水で濡らした手櫛で透いてくれた、あの大きな手を………

あの頃は、まだ。

まるで、兄貴か仲の良い先輩くらいにしか思ってなかった。

「まったく、髪をもっと切れよ。清潔感が足りない、お前は」
本気で怒っているわけでは無い事が、彼の口調で分かる。
呆れてはいただろうけど。

多分、シャツはベストサイズのはずだ。
首元のタックに刺繍された文字を見て、そういえばこのブランドを彼が好んでいた事を思い出す。
彼のシャツは、いつだってクリーニングから帰ってきたばかりの糊のきいたぱりっとしたものだった。

シャツをそっと取り上げた。
彼と毎朝顔をあわせなくなって、もう半年もたっていたのかと改めて月日の過ぎる速さを思う。

シャツの下に白い封筒が現れた。
なんだろうかと、シャツを置いて封筒を手に取る。
封を切ると、チケットが現れた。

もう印字された日付はとっくに過ぎてしまった、ワンシーズン前のもの。
有名なサックス奏者の「最後の公演」といわれたチケット。

……行きたい、と。
新聞の告知を見ながら呟いたことをまるで他人事のように思い出した。

…………1枚、だけの。

もらった後、すぐに開けていれば行けただろう。きっと。

何も考えず携帯に手を伸ばした。
前の携帯を解約して新しい番号になった時に、それでも削除できなかったアドレス帳の中のひとつ。

数回のコールの後、一息おいて懐かしい声が言う。

「…………はい?」

知らない番号からで警戒しているのだろう、彼の表情が浮かび、俺はとたんに何もいえなくなった。

「……」

頭の中で何と言おうかと想いばかりがぐるぐると回る。

シャツ、ありがとうございました、か
チケット、ありがとうございました、か。
公演、いけなくてすみませんでした、か。
公演行きましたよ、か。

…………今まで、連絡しなくてごめんなさい、か。
今更だけど、携帯変えたんです、か。

気まずい沈黙が続くが、それでも彼はまだ電話を切らなかった。

「……あ、の」
「……寺井…か?」

俺が何かを言いかけると、彼がそう言うのは、殆ど同時だった。

Fin
突破口 1

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  1. ピンバック: 2016/12/16 拍手お礼+過去の拍手小説アップ | fresh orange

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