突破口 1

 12月の、繁華街の一角にあるまだ新しいホール。
 自動ドアのすぐそば。
 
 入場が始まってから、コンサートが始まってもまだ。
 そこに立って、待っていた。

 きっと来ると、どこかで信じて疑っていなかったからだろう。
 チケットのもぎりの女性に、遠慮がちに公演がすでに開始している事を告げられたとき、とうとう彼が来なかったことをはっきりと自覚して、とてつもなく落ち込んでいくのを高津はひとけの無くなったロビーに立ち尽くしたまま感じていた。

 結局、ホールには入らなかった。
 閑散としたロビーに立ち尽くしたまま、それでも、来るはずのないであろう彼を待ち続けた。
 
 会って、一体何をいうつもりだったのか、自分でも分からなかったけれど。
 自動ドアの向こう、北風にゆれる木を見ていた。

「あ、噂をすれば高津だ」
 定食の乗ったトレイを持って、空いた席を探す高津の耳によく知った声が届く。
 同期入社の山本が少し離れた席で手を振っていた。トレイを持って山本の座るテーブルに腰を下ろすと、山本と最近よく一緒にいる青年がぺこりと会釈をする。青年に会釈を返して、高津は割り箸を割った。
「噂って、何」
 背の高い高津は、体格に比例にして声も低い。
 それはあまり高津を知らない人間には少しばかりの近づきにくさを感じさせているらしい。
 山本にそう指摘される前にも学生時代から散々言われてきた事だが、高津は別段、怒ったりしているわけではなく。
 ただ、声が低くて淡々と話すだけだ。
「お前の可愛がってる後輩クン。辞めるんだって?」
「…………え?」
 サラダを摘みかけていた箸が止まった。
 正面に座る山本を凝視すると、山本が目をぱちくりさせる。
「あれ、知らなかった? あのちょっと抜けてる可愛い子。高津が鍛えて、最近ようやく使えるようになってきたのにって、二課の課長が話してるのを聞いちゃったんだけど」
 そういう山本は全く悪気の無い顔で茶を啜った。
 山本の隣の青年が気遣わしげに高津の表情を伺う。
「……あの、高津さん、もしかしてご存知無かったですか?」
 図星をつく青年の問いかけに返す言葉もなく、中途半端にレタスを摘んだまま高津はしばらく呆然としていた。

 隣のデスクが空いていたのはほんの数日だけで、すぐに新人がそこに座る事になった。時期外れの新入社員だが、眼鏡の奥の目が鋭くも爽やかで、切れ者であることを伺わせる。
 前任者よりも背が高いが、痩せていた。
 どちらかといえば幼い雰囲気の前の後輩よりも、男っぽい顔立ちが女性社員にはウケたようで、入社そうそうランチタイムには女子社員に囲まれていた。

 仕事の憶えは速くてきぱきとよく動く。
 要領も良くて、六時を回りまだ伝票を書いている高津の隣でさっそく帰り支度を始めるが、彼の仕事量はすでに高津に迫るまでになっていた。
 これは気合を入れてやらないと抜かされる日も近いと、高津は内心戦々恐々としている。

 そして時折、隣のデスクで困った顔で頭を抱えていた昔の後輩を思い出していた。

「高津さあん」

 しょっちゅう高津に泣き付いてきたが、どういうわけだか憎めなかったし高津なりに可愛がっていた。
 とても、仲良くしていた……、と。
 高津はそう思っていた。

 自分だけだったのだろうか。
 仲が良い、なんて思っていたのは。

 退職するという話は山本から聞かされた翌朝、課長から直接告げられた。
「君も可愛がっていたから……残念だけど」
 高津を気遣う課長に曖昧に笑って見せた。
 本人から何かを言われるわけでもなく。
 送別会でもらった花束を抱えて、タクシー待ちの列へ一人消えて言った。
 それきりだ。

 そんなものなんだろう、と。

 努めてドライに考えるようにしたのは、果たして本心なのかどうか、自分でも自信が無い。

 仕事が出来る新しい後輩に、言うことは何も無い。
 時折感じる寂しさは、出来の悪かった後輩の世話を焼いていたころの名残だろうか。

「俊介は、なんだかんだいって面倒見がいいから」

 何気なくデートの時に彼女に伝えると、彼女は可愛らしい顔をほころばせてそう言った。
「寂しいのね。面倒を見る相手がいなくなっちゃって」
 化粧品のCMできらめく笑顔を見せているモデルに似ていると評判の彼女の横顔は、確かに美しい。それは初対面の時もそう思ったし、今でも変わらない。
 誰もがうらやむ、典型的な美女だ。
 彼女のくれたコメントに適当な笑顔を返した高津の頭の中は、またあの出来の悪い後輩を追いかける。

 あいつは今、どうしているんだろう。

「でも、私は俊介の新しい後輩が、仕事が出来る人になって嬉しいな」
 彼女は上目遣いで可愛らしさたっぷりにそう言った。
「…どうして?」
「だって、俊介残業減ったでしょう。私に電話してくれる時間が最近早くなってるもの」
 そういう彼女は可愛らしくて、…………そう、普通にとても可愛らしいのだけれど。
 けれど、高津の心に響いてこないのはなぜだろう。

 確かに残業は多かった。
 それでも、高津は嫌では無かった。
 後輩の面倒を見ながら、遅くまで会社に残っている事が。
 むしろ、楽しかったのだと。今なら分かる。

「私、友達みんなに羨ましがられるのよ」
 隣を歩きながら彼女はそう言ってごく自然に腕を滑り込ませ、華奢な指を高津の手に絡めてきた。
「私のお願い通りに毎晩ちゃんと電話をくれる彼氏で、優しくてうらやましい、って」
「……へえ」
 彼女の言葉に上の空で返答を返す。
 そういえば。
 友人の紹介でこの子と付き合い始めた頃。
 残業のさなか、オフィスの隅で声を潜めて彼女に電話をかける高津を、もの言いたげな視線で見ていた彼を思い出した。
 彼女がいないと聞いていたから、羨ましいのだろうか、と。
 単純に、そして下らない少しばかりの優越感とともに思っていたけれど。

 今日は家族で食事をするから四時まで、と彼女に言われていたタイムリミットを、高津は30分の余裕を持ってしっかりと守る。一種の深みを持つ瞳で、高津にも食事に参加して欲しいと言われたが適当な理由をつけて断った。それをあっさりと了解してくれた彼女に、高津はほっと安堵する。
 執行猶予が伸びた。
 そんな感覚だった。
 デートの終わりは彼女を最寄の駅まで送って、それで完了。
 高津は自分の決めたルールに則って行動する。
 そこに高津の感情を冷静に観察する余裕がいままであっただろうか。一般的に、好意を持たれる振るまい。礼儀正しい態度。
 その裏にあるのは、客観的に自分がどう見えるかという目だけ。

 土曜のまだ早めの時間、一人で自宅へと戻りながら高津はぼんやりと考えた。
 
 高津の携帯がポケットの中で振動したのは、コンビニで買い物を済ませ、袋を片手にぶらぶらと自宅へ続く坂道を降りている途中だった。
 まだ夕暮れには早い。
 携帯を取り上げ、ディスプレイを確認すると会社からだった。
 何事だろうかと通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「あ、た、高津さん」
 焦った男の声がした。
 一瞬誰だろうと訝しんだが、すぐに声の主に思い当たる。
「寺井?」
 出来の良すぎる、新しい後輩だった。
 新しいといっても、もう入社して半年は経っているが。
「どうしたんだ? お前、今会社なのか?」
 完全週休二日制をとる高津の会社は、今日は無人のはずだった。
「あ、あの、俺……」
「一体、どうしたっていうんだ。何があった?」
「あの、さっきふと不安になって会社に来てみたんです、昨日納品した商品の事が気になって…共進社の」
「昨日?」
「あの、俺、間違えて…」
 まだ慌てふためいている寺井をなんとか落ち着かせ、話を聞く。
 なんでも納品する商品を間違えて送ってしまったことに今日気付いたらしい。
「昨日、宅急便で送ったんだよな?」
「はい」
「配送業者にすぐ電話しろ。まだ配達が済んでいないようなら、止めてもらえ。もし配送してしまっていたら、お客さんに電話して、まずは謝って……」
 言いかけて、不安になる。
 滅多にしない失敗をしてしまったこの後輩は完全にあわてふためいている。
 こいつに冷静な対処が今出来るはずがない。
 受話器を握りながら高津は腕時計の針に目を落とした。
「俺も今から会社に行くから待ってろ。とりあえず配送業者にだけ電話して、状況を確認したらもう一度連絡してもらえるか?」
 高津はそれだけ言って電話を切った。
 共進社は土曜も営業している。
 もし誤った商品がすでに納品されてしまっているのなら、すぐに行って対応をしないといけない。
 とりあえず、一回戻ってスーツに着替えて…

 早足で歩き始めた時、握り締めたままの携帯がもう一度鳴った。
 反射的に見たデスプレイには、知らない携帯の番号が表示されている。
 一瞬不審に思った高津だが、寺井が自分の携帯からかけてきているのかと、電話に出た。

 間違いには、すぐに気付いた。
 相手の、声を聞いた瞬間に。

「今泉!」

 懐かしい後輩の名前を叫んだ高津の声が、相手に届いたかどうか。
 電話は、向こうから切られてしまった。

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