突破口 2

聞き間違えるはずのない、あの声。
甘えて高津の名を隣のデスクから呼んだ。
名前を呼ばれるのが嬉しかった。
寝癖の付いたままの頭を情けないと思いつつ、それを直す名目で柔らかな髪に触れる事が出来るのが、嬉しかったのだ。

すぐに今泉に電話をかけたい。
しかし、今はそれどころでは無かった。
ほんの僅か、高津は携帯を握り締めて躊躇したが、黒いプラスチックのそれをパンツのポケットにねじ込むと小走りに部屋へと戻った。

……1回、2回、3回、4回。
全てを終え、ようやく自宅に戻って一息ついたのは、その日の深夜近くになってからだった。
着信履歴を見て、改めて今泉が携帯を変えていた事に気付く。
もしかしたら携帯を変えたという連絡をしてきてくれただけかもしれない。
コール音を耳もとで数えながら、それでも高津は僅かな可能性を追っていた。

電話をかける高津を見つめる、もの言いたげな視線の意味。
何も言わずに辞めて行ったくせに、半年たってようやく電話をかけてきた今泉。

もしかしたら、高津になにか……恨みでもあったのかもしれないけれど。

自嘲的な笑いを少しだけ浮かべ、それでも、高津はもう一度今泉の声を聞きたかった。
今泉が隣からいなくなってから、あの顔を、声を、忘れた事など無い。

5回、6回、…………7回。

7回目のコールは途中でぶつりと切れた。
それは、今泉が高津からの電話に出るための覚悟を決めるための時間だったのか、それとも携帯が鳴っている事に気付かなかったからなのか、高津には分からないけれど。
それでもラインが繋がった事に高津はまた一つ、可能性の石を積み上げる。
それはとても小さな一つだけど。

「高津だ。……今泉だろ?」
相手が何か言う前に名乗り問うと、電話の向こうで今泉が息を飲む気配がした。
間違い無い。
この電話の向こうにいるのは、あの懐かしい後輩なのだ。
「昼間は……ごめんな。ちょっとばたばたしていて」
少しの間の後、遠慮がちな声がした。
「……どうして、俺だって分かったんですか?」
掠れているように聞こえるのは高津の気のせいではないだろう。
「俺がお前の声を聞き間違えると思うか? たとえ、一瞬でも」
「……寺井、って、誰ですか?」
そう問う今泉の口調が少しだけ拗ねていて、それがやけに可愛らしくて高津は口元だけで笑う。多分、今泉は気付かない。
「お前の座っていた場所に、今座ってる奴。今日、寺井がトラブっててな。だから寺井がかけてきたんだと思ったんだよ」
「……そう、なんですか」
かすかな溜息を漏らす音さえも、高津はいとおしく耳に受け止める。
会いたい。

……会って、伝えたい。

「お前、今何やってるの?」
「…え? …………風呂上りで、ごろごろしてます」
「そうじゃなくて」
思わず笑い出した高津に、今泉はすれ違いに気付いたのか焦ったように訂正する。
「あ、すみません。今はちゃんと働いてますよ。……もう、全然業種違いますけど」
「営業?」
「…いえ、今度は営業じゃなくて」
「そうか、それがいいよ。お前は営業あんまり向いてない」
まだくすくすと笑って高津が告げる。それに気を悪くした風でもなく、今泉は自分の近況を語ってくれた。
懐かしい声。
改めて、今泉の話し方の癖を思い出す。
たまらない愛しさが突き上げてくるのを自覚する前に、高津は今泉の話しを遮って、言っていた。

「今泉、会いたい。話があるんだ」

とりあえず会う事は拒否しないだろう。
その先、どう転んでも…………

それはそれで構わないか、と。

不思議な穏やかさを湛えながら、高津は今泉の返事を待つ。

Fin

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