霜月 1

 日が沈むのが少しずつ早くなり、朝晩の空気が透明さを増していく。
 金曜の夜に辻の家を訪れると茶の間にこたつが出されていた。丸いこたつの天板は見事に輝く飴色で、こたつ布団は柿の実がプリントされた柔らかなオレンジ色だった。「寒くなってきたから」と辻が用意してくれた夕食は水炊きの鍋で、白菜が大量に入っていた。柚子胡椒とやはり辻のお手製のポン酢で鍋をつつきながら、俺は頭のどこかで辻がこの間言った言葉をずっと思い返していた。
 辻の家で辻の生活に少しずつ混ざりこんでいる俺は、辻の世界を見て、感じて、触れているけれど。辻にとって俺が遠く感じているとしたら。
 ……それは、俺の気持ちがずっと多喜さんのそばにあって離れていかないからだ。

「マロニーちゃんは入れないのか?」
 鍋の中身が半分くらいになったときにふと気づいて聞いてみた。
「マロニーちゃん?」
 辻が不思議そうな顔で俺を見る。
「なんていうか、しらたきみたいな。春雨みたいな。モチモチしていて美味しいんだ」
「久野さんの家の鍋は、それ入れるんですか」
「俺の家では定番だったな」
「それってスーパーで売ってますか」
 辻の返答に俺はまじまじとやつの顔を見つめた。春に配属されてきた時と比べて顎の線がシャープになった。辻は急激に大人の男に変化している。
「マロニーちゃんを知らないのか? CMくらいみたことあるだろ? マーロニィちゃんって」
 節をつけて歌ってみせると、辻は微妙に首を傾げる。
「この家、テレビないですよ」
「……」
 そういえば、無かった。
 辻といるとずっと喋っているか庭にいるかだし、夜は夜でやるべきことをやっているから全く気付かなかった。
「ずっと無いのか? っていうか、ここお祖母さんの家だろ。お前、ここで育ったの?」
「小さい頃は中国にいました。内陸のけっこう大きな都市でしたけど、北京や上海にくらべると田舎で。小学校低学年の頃に日本に引っ越してきたけど、両親がずっと家を空けていることが多かったのでだいたいここにいることが多かったんです」
「帰国子女かよ。え、じゃあ中国語話せるわけ?」
「小さい頃のことだから。少しだけ覚えてますけど、仕事で使えるレベルではないです。そもそも北京語じゃないんで、もっと使う場面ないですし」
「なんでまた、中国? お父さんの仕事の都合?」
「母方の祖父母が中国に住んでて。俺の家、両親が子育てできるような余裕がない環境だったんでそっちに預けられてたんです。でも俺が7歳のときに祖父母が他界して、日本に戻ってきました」
「……」
 辻と出会って半年が経ち、俺たちが付き合い初めてから数か月がたっていた。けれど俺は、辻がどんな子供時代を送ったのかということを全く知らなかった。
 両親は離婚して父親が香港にいるということは聞いていたが、あまりつっこんで聞いてはいけない気がして、触れずにいたのだ。
「日本に帰って来たはいいけど、やっぱり親はずっと家にいなくて、父の実家であるこの家にいることが多かったんです。祖母はラジオは聞くけれどテレビは見ない人で、だからこの家にはずっとテレビが無いんですよ」
「……あ。だから、マロニーちゃん知らなかったんだ」
「はい。美味しいって言ってましたよね。今度買ってきます。一緒に食べましょう」
 辻が目尻を下げて微笑む。俺は辻のいつもと変わらない笑顔を見ながら、箸を持つ手が完全に止まってしまっていることに気付かなかった。
 ほとんど毎週末一緒にいた。毎週末どころか、夕食を食べに訪れることも多かった。会社でもだいたい一緒に行動している。
 なのに、俺は辻のそんな子供時代のことを全然知らなかった。

 ……こういう話って、普通するもんかな。どうなんだろう。

 多喜さんは関西の出身で野球をずっとやっていたという事を知っている。俺が多喜さんのことを知りたくて、一緒にいるときにいろいろ聞いたからだ。同僚の奈良の小学生時代は知らないが、中学からは私立の男子校に通っていて、大学時代はウィンドサーフィンにハマっていたという。たしか奈良自身が何かの折に話してくれた。
 今までこれだけ傍にいながら辻に聞いてこなかったことを改めて気づき、俺は半分呆然としていた。
「久野さん。しいたけもっと食べますか?」
 辻がおたまを手に俺が手に持ったままだったとんすいに手を差し伸べてくる。俺は反射的に頷いて辻へとんすいを渡し、慣れた手つきで鍋のものをよそってくれる辻の横顔を見ていた。

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