霜月の夜 1

 辻が求めた「ご褒美」は会議室のキスだけでは終わらなかった。
 おごるから外で食事をしようと誘ったけれど、辻は家で食べようと言い張り結局いつも通り会社から辻の家まで一緒に帰ってきた。それでもお祝いとして帰り道にある酒屋に寄って店長が勧めるビオワインを買い、辻が仕込んだ茄子ときのこのアラビアータを前にグラスを合わせた。珍しく辻が作ったイタリアンはかなりの絶品で、ワインの口当たりの良さも手伝い、俺たちはあっという間にボトルをほとんど空にしていた。
「ペース早いですね、久野さん」
「お前もだろ」
「これ、美味しいから。……ありがとうございます」
 辻がグラスを傾けて深い赤の液体を口に含む。
 ワインを飲みこむときに動いた喉ぼとけがやたらと色っぽくてどきりとした。それを隠すように鯖とじゃがいものトマト煮に箸を伸ばす。しっかりと味が沁みたそれは、昨日のうちに仕込んでいたのだという。
「お前がすごい成長ぶりを見せてくれたから。……2部の、俺の同期が。うかうかしてたらお前に抜かれるかも、って言ってた。たぶんけっこう本気」
「……ほんとですか? でもそれなら、俺より先に久野さんに抜かれてますよ。だって俺、久野さんから全部教えてもらいましたから」
 辻が柔らかく目を細めて俺を見た。ちゃぶ台の角を挟んで斜めに向かいあうように座った俺は、辻と視線を合わせながらそれは元をたどれば多喜さんから教えてもらったことだと頭の中で考える。多喜さんから俺へ、そして俺から辻へと伝えられたものは、きっとその前には別の人がいて、数年後にはまた別の社員へと伝わるのだろう。
「……なに、考えてるんですか。久野さん」
 ふいに辻がグラスを置いて、俺の頬へ手を伸ばしてきた。少しひんやりとする指が俺の頬を滑り、首筋へと流れる。シャツとの境目をくすぐるように撫でられ、俺はぞくりと背中を震わせた。
「……っ、つじ」
「……前にここに付けた痕、やっぱりもう消えちゃいましたね」
 辻が残念そうに言って俺のネクタイの結び目に指をかけそれを緩めた。
「お前……っ、わざとだったのか?」
「でも見えなかったでしょう。ギリギリで」
「ああいうのはやめてくれ。誰かに見られて冷やかされるのはごめんだ」
「……嫌です。いっそ、誰かに見られてしまえばよかったのに。……見てもらえければ、キスマークの意味がないでしょう?」
 辻が囁くような吐息を含んだ声音で呟き、シャツの襟から解いたネクタイを抜き取る。絹が擦れる音がして、それはあっという間に辻の手に納まった。
「辻っ」
 辻の手が伸び、俺の腕を掴んで柔らかく手首を握る。俺は小さいほうではないが、長身で体格の良い辻の手に握られてしまうと、驚くほど自分が頼りなく思えた。
「ねえ、今夜は、俺をお祝いしてくれるんでしょう」
 辻の声がやたらに色気を含んでいる。す、と身を寄せ、俺の頬にキスをして間近で目をのぞき込んできた。
「……久野さん、縛らせて下さい」

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