アンバー 38

 それから刑事がやってきて、氷河を刺したストーカーが逮捕された事を聞いた。医師と看護婦と刑事と母が入れかわり立ちかわり病室を出入りし、いい加減疲れたところで全員が一斉に出払った。
 俺、結構大怪我した怪我人なんだけど……
 あまりに慌しい状態にうんざりしながら天井を見上げると、遠慮がちにドアがノックされ、返事を待たずに開ける音がした。
 ベッドに寝たまま顔を向けると、桜木がそこに立っていた。
 何度も見た、そして憧れた桜木が姿勢良く……しかし、途方に暮れたような顔で氷河を見ている。
 窓から差し込む西日が桜木の顔を照らし、その瞳が潤んでいるが分かった。
 「……桜木……」
 名前を呼ぶと、ゆっくりとベッドの傍に歩いてくる。枕もとに立ち、じっと氷河を見下ろした。
 何を言っていいか分からず、氷河も無言で桜木を見上げる。
 しばらくそうしていると、桜木の瞳からぽたりと雫が垂れ、氷河の頬を濡らした。その僅かな温もりに氷河は瞳を細めた。
 「……氷河さん……生きてて良かった」
 掠れた声で言うと、椅子を引き寄せそこに座り、氷河の顔を覗き込んだ。
 夕焼けの強い陽が桜木の頬に当たり、深い影を作る。
 そんな桜木はやっぱり綺麗で、氷河はため息をついた。
「……なんか、まだあんまり頭がついていかないんだ……。公演は、終わったんだよな?」
 そう問い掛けると、桜木はようやく微笑みを浮かべた。
「……終わりましたよ。ずっと言いたかったんです……氷河さんの照明……俺は素人ですけど、素敵でした。夢中で見入ってました」
「そうか……」
 ようやく、公演が終わってからバラシをして、トラックに乗って……と、リアルな記憶が蘇って来た。
「手伝ってくれて、ありがとうな。本当に助かったよ」
「……こっちは、それどころじゃなかったですよ。……生死の境を彷徨ったっていうのに、のんきな会話してますね」
「え? そうなの? そんなにひどい怪我だったんだ?」
 生死の境、という言葉に驚くと、桜木は大きな荷物を下ろした後のような顔をした。
「ちょっと大げさだったかもしれなかったかもしれませんけどね。こっちは、気が気じゃなかったんですよ。すっげー久しぶりに、涙が出て止まらなかったんですから」
 それを聞いて、氷河は感慨深いものを感じた。
「桜木、やっぱりお前でも泣く事あるんだな……」
「当たり前じゃないですか……好きな人が死ぬかと思ったんですよ。泣かない人間がどこにいます」
「そんなに脆くに出来てねーよ……簡単に死なないって……」
「氷河さんが、どんどん血を流して、真っ赤になって、なのに体は冷たくなっていって……どんな思いで救急車が来るのを待ってたと思ってるんですか」
 目の縁を赤くしたまま、再び泣き出しそうな表情の桜木を見て、氷河は安堵感を味わっていた。
 桜木が、あの桜木が自分のために泣いてくれたのだ。
 嬉しくて、幸せで、同時に申し訳なくて。
 ベッドからそっと手を伸ばして、桜木の目じりに触れた。
 桜木は、一瞬驚いた顔をし、それから氷河の手を握り締めるとそれを自分の頬に押し当て、俯いた。
 桜木の肩が震え、氷河と繋がった手に力が入る。
 ベッドに寝ている氷河からは、桜木のアンバーの髪しか見えなかった。
 氷河が何か言おうとした時、桜木が握りしめたままの手に生暖かい液体が伝わった。
 その正体が分かり、氷河は黙ったまま瞳を閉じた。
 いいようのない穏やかな幸福が氷河を包み込んだ。

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